Feminism has been solvedな世界で思う人間の描き方

映画バービー見ました。

 

完璧な世界であるバービーランドで過ごしていたはずのバービーがある日突然扁平足になる。リアルワールドに干渉元を探しにいくのだが、バービーランドとリアルワールドの交差を恐れた男性CxOたちはバービーを捕まえようとする。からがら、リアルワールドの母娘の助けによってそれを逃れバービーランドに舞い戻るが、すでにバービーランドにはKenが持ち込んだロマンティックラブとPatriarchy(家父長制だ!男社会と訳すな)が蔓延しておりバービーランドのバービーたちは”洗脳”済みの状態だった。その洗脳を解いていくのはリアルワールドから訪れた母による女性自立の演説であり、バービーの洗脳が解かれるにつれケン同士の争いが勃発するもなんやかやで収束する。バービーはケンとのロマンスを選ばず、ケンは「バービーの恋人」ではもはやなくなり、バービーは人間になる道を選ぶ。

前半は絵もかわいいし音楽もage、私は映画を見る前にワインを6杯くらい煽ってたのでかなりずっと爆笑していたのだが、全編見た感想としては60点という気持ち。なんかでもけっこうそもそも話の構造がけっこう難しかったなあというのが正直なところなので、わからないなりの60点ですというエクスキューズをつけつつ。①家父長制の発見とその打倒の話?=よって往々にして男女の対立っぽい話に見える筋と、上記にまとめたような②属性や全体よりも「個」へ・ロマンティックラブよりもフレンドシップへ、という2つの筋があって、どっちの話なの?と頭の整理が追いつかなかった。もちろん家父長制が②を強く用意してきたことはわかるんだけど、思想史にあんまり追いついていない一般市民の私としてはむしろ①がすごく弱く映った。最終的なオチ自体(戦争終結後に訪れるKenとBarbieの告白と、Barbieによる拒絶)も②の話だったわけだし、そうしたストーリーのオチから言ってストーリー中盤に出てくる男(Ken)女(Barbie)の対立がむやみやたらに男女の対立を煽っている印象を受けた。Kenパートはやたらと圧縮されており、Barbieパートでは家父長制の”洗脳”をリアルワールドの女性の演説によって解かれるというシンプルさがなんとも。ちなみになんなら私は最初の5分でこの映画は”Ken”にフォーカスした話なのかなと思ったくらいだった、冒頭で明確に”Feminism has been solved”とナレーターが言っていたので。Feminismを乗り越えたあとの世界…でも起こるどうしようもない話を描くのかなと思っていたが、そもそもそんな世界は序盤のバービーランドに一度も訪れていなかったのだよね。つまりいまある世界を繰り返して描いただけだったので、Feminism的にもあまり新しさはなかったかもというのが正直なところ。

私としてはTwitterで男性性の人があまりこの映画をよろしく思っていないという話は逆によくわかったかも。Kenについても救いを仄めかすような冒頭ではあったけど、中盤はむしろ家父長制に染まったKenたちの愚かさを利用し女性がそれから離れていくシーンがあり(ゴッドファーザーが好きだからそれを利用しろだとか、ギターで歌を歌わせつつ他の男のところに行って嫉妬心を煽れとか)、別に家父長制からの脱却は男性disでしか行われないわけではないし、リアル・リアルワールドであったらクソみてえな男とクソみてえな女とそれ以外のクソみてえな人とがなんとかわかり合いながらやっていくしかないし。おちょくり全開の描写を嫌だと思う人もきっといたんだろう。

ただ、まあ嫌がる気持ちはわかるなあという譲歩はありつつ、しかしそういった露骨な男性disに触れられる機会がリアル・リアルワールドに極端に少ないのはよくわかるし映画表象を借りて提供できるのならどんどん見せていったらいいと思う。私はそういう男性の見栄と見栄による男性同士の諍いのことをちんちんチャンバラって愛情を込めて呼んでるんだけど、まさに中盤のKen同士の戦争描写はちんちんチャンバラだと思ったもんな。結局なあなあに戦争(っぽかったもの)が終結することも含めて。ちなみにちんちんチャンバラをもう少し詳しく描写すると、それは要するに本質的な真剣のバトルではなく、結局は相手の見栄と自分の見栄を保つものでしかない、ホモソーシャル的な馴れ合いのことを指している。このちんちんチャンバラの話はわりといろんな人間に笑ってもらえるのだが、ちんちんチャンバラ自体の話はもちろん古今東西溢れているものの、それを「それちんちんチャンバラですよ」と指摘してくれる人はまだあまりいないので、そういう意味ではKenにとっても新しく、少しひねくれてはいるけれど、最終的には家父長制から解き放たれる一歩となる映画なのかもしれない。私もどはまりな映画ではなかったが、なんだかんだ観たほうが社会の見方も変わってくる良い映画だったなと書きながら思い始めてきた。やはり基本路線としては家父長制の発見、打倒と解放という話で、その解放と同時にロマンティックラブイデオロギーも力を失う、という話だったのだ。ロマンティックラブの終焉は副産物。むしろここを主眼に据えるならそれこそノア・バームバックのフランシス・ハやマリッジ・ストーリーがあるわけだし。そこを見たいんならそういう映画を見るとしよう。

ここからは余談と備忘なのだが、最近ロマンティックラブイデオロギーについてよく考えている。典型的な物の見方をすると恋愛って女性が主に好きなものと思われているけど(少女漫画とかね)、むしろそこから脱却しようとしているのは女性で、ロマンティックラブに縛り付けようとしているのは男性側なのかな?と思い始めている。なんかすでに論考はありそうだけど…。恋愛を重視し身体的なつながりを情緒的なそれと合致させようとする感情を女性が抜け出てしまえば男性器ってもはや必要ないしそれはちんちんチャンバラの世界にとって非常に困った事態なのだろうな。まあもちろん実際問題男性器は気持ちがいいし、ディルドを自分で動かすと腱鞘炎になるから自律して動く男性器はありがたいなと思うし、そういうあけすけな話も含めて人間たちがどうわかりあって生きていくかをFeminism has been solvedな世界では考えていきたいけどね。