平凡沼にダイヴ!

「四十超えてからなんだかいらいらする」と言ったのはいとうあさこだけど、私は三十超えてから生理前でもないのにむかむかすることが増えた。何を見てもむかつくし、むかつきがむかつきを核連鎖的に呼ぶというむかつき。むかつきが重なると頭痛がして、何をしても(眼精疲労に効く目薬をしても、糖質を取っても、運動をしても)おさまらない。女性ホルモンが身体のどこかで塵積もって悪さをしているのかもしれないね、思春期から染み出し続けるそれはたまに訪れるセックスであっという間に爆発的な量になるけど未婚のシングルで出産も妊娠も経験がなくて身体が耐えられていないのかもしれない。最近のむかつきを書けば気持ちも落ち着くか?私が最近むかついたことと言えばまずは最近見た映画がいまいちだったこと。「イミテーションゲーム」を見たのだが、天才と凡人の軋轢を平凡に描き、かつチューリングが最も苦しんだであろう同性愛者への迫害を描ききらない粗雑さにむかついた。それでもこの映画はLGBT団体から表彰されたらしいから(Wiki情報)、ぷりぷりしてるのは当事者ではない私だけなのかもしれないけど。
次にむかついたことと言えばユニクロで買ったスウェットが全然かわいくなかったこと。なんとなくそれっぽい部屋着を買いたくてオンラインストアで買ったけど届いて家で着てみたらすべてを諦めたおじさん・おばさんの似姿になり即送り返した。どういう意思決定でこんなつまらないボディラインのスウェットが作られるのか。体型がベラ・ハディットじゃない私の身体がいけないんだろうなあ…。
最近のむかつきはこういうわかりやすいイベントから発生したこともあるけど、なんかもう生活全般から滲み出る平凡さに辟易しはじめたことにもある。Instagram、Facebook、YouTube、どれもが大して興味もなかったはずの平凡な人々の平凡な見栄と平凡なコントを提示しているだけで、私はもっと人生を賭けた作品を見たいというのに私の脳と親指は勝手にそれらのアイコンをタップする。平凡な人々が演じる「#30代独身女性あるある」だなんて見たくないのに!!!21世紀の資本は広告とドーパミンを栄養にしていて、広告とドーパミンは平凡さからできている。おもしろくもないこれらの対象("コンテンツ"と名指すのも嫌だ)を画面に張り付いて何時間も眺めている姿は未来人からすればさぞかし滑稽なんだろうな。そこにChat-GPTがなんやらかんやらでデジタル業界は騒ぎ始め、もちろん健全にその可能性と課題に取り組んでいる研究者も億万といるのだが、しかし「Chat-GPTを利用してビジネスを加速させよう!」だなんて、どれほど優れた思考回路であったとしても平凡な情報をインプットとして非凡なアウトプットが生まれる可能性があるものか疑わしい(そのアウトプットが非凡に成り代わる瞬間がシンギュラリティと呼ばれるものなんだろうが)。私はついこのように思ってしまうのだが、そうやって斜に構える私はやっぱりladderなだけなんでしょうか。
私は平凡な人間である、このまま順調にいってもきっと一生平凡な人間だろうがそれもよかろう、しかし自分が進んでその平凡という沼にアヘ顔ダブルピースで頭を突っ込みたくはない。でも私の脳と親指はもうその沼に浸かりきっていてどれだけ掻いても上がれない。てか進んでる先がすでに平凡の深淵なのかもしれないし。閉塞と倦怠でいつまでも頭が痛いよ。