4月

四月のきらめきに、年を重ねるごとに負けそうになる。しかし十分に成人であるくせに春が憂鬱だと白状することは自分の人生の情けなさを認めるかのようであってやるせない。

 

服藤恵三『警視庁科学捜査官』(2021年)

ツイッターで話題になっていたので手に取ることになったが予想外に面白い本だった。著者の服藤氏は科捜研の研究員。地下鉄サリン事件におけるサリン同定にはじまる、東電OL殺人事件、和歌山カレー事件、…などの犯罪を科学的根拠に基づき解明していく。無論、人が実際に死んでいることなのであけすけに面白がるのは恐縮なのだが、筆者が博士号まで取るに至ったその専門性に基づいて事件を紐解いていく流れはミステリー的な中毒性がある。それだけでも十分読むに値するのだが、筆者が科学捜査と同等以上に心血を注いだ「組織」という存在を考えるにあたっても興味深い本だった。筆者は科学捜査を日本の警察におけるスタンダードとして確立させんがために奔走するわけだが、日本の警察組織の、縦割り組織や従来慣行の壁は厚く、その筆者の思いと行動は彼自身のキャリアの足かせにさえなってしまう。こうした状況に対して筆者が実際にどう感じていたかはわからないのだがそれでも筆者は組織改革を諦めず、この本のラストでは人を育てていきたい(p273)という願いに結びついていく。道を究める人というのは自分の知識を深めるだけでなく、自らが所属する組織が、そしてひいては組織にいる人々がより良いものになるように働きかけていくものなのだろう。働いていると嫌なことが山程あり、その度に組織を改善しようとしない組織人に対して軽蔑の念を覚えるわけだが、私自身としてもいつそういう人間になるかはわからないものだし、この筆者の態度はできる限り胸に留めておきたいと思った次第。

警視庁科学捜査官 難事件に科学で挑んだ男の極秘ファイル (文春e-book)

 

カポーティ『冷血』(1965年=2006年)

上記の『警視庁科学捜査官』を読んで犯罪シリーズ…と思い手にとった。文庫の栞リボンが途中に挟まっていてどうやら前回のときは読了しないままこの本を本棚に突っ込んでいたらしい…が、なぜ前回は途中で読むのをやめられたのか?と思うほど刺激的に面白く読めた。切り取る情景が映画的で美しいのが良かったし、犯人二人がするりするりと警察の手を逃れる様も飽きを感じさせない。(もちろん、こちらも「人が実際に死んでいることなので…」モノだが…。)登場時は小物男にしか見えなかったペリー・スミスが頁が進むにつれて狂気と愛情を有した人間になっていく描写にカポーティの筆力を見た。あとがきにもあるように、実際にカポーティはかなりこの男に同情を寄せていたらしく、その心情をオーバーラップしていくかのように物語が進行していく構成力に惹きつけられる。『冷血』といえば高村薫の同名小説がありこちらも楽しく読んだはずなのだがあまり記憶にない…。昔は本を「読む」余裕も技量もなかったのだなと恥ずかしく思い返される。それらを持っていた学友たちに焦っていたころばかりを思い返す。いまもそう大して(余裕も技量も憧憬も)変わってないかもしれないが。

冷血 (新潮文庫)

 

四月歌舞伎「桜姫東文章」

なんだかな〜、私は21世紀の人間だから嫌な気持ちになっちゃったよ。強姦された姫が、強姦犯のことが忘れられず、偶然の再開を経て自らの身分も捨てて相手に身を捧げる。(ここからは四月歌舞伎では演じられていない後半の話だが)しかし実はその相手こそが親と兄弟の仇なのだと知り、最後には仇討ちとその男の首を掻っ切って大団円。強姦された姫が強姦魔に想いを寄せるという強めの妄想も気に食わないのだが、その思いも結局は家族への忠孝の前には憎しみにかき消されるという、忠孝(社会通念)>強姦魔への思い([男の]妄想)>姫の個人の尊厳、というこの順番にやるせなさを感じた。

玉三郎と仁左衛門は素晴らしいお芝居をしたと思う。二月歌舞伎の感想がまだ書けていないのだが、この二人は本当に年齢を超えた演技をする。(若さがすばらしいという立場に立つわけでは決してなく、お年を召した顔つきの人がみずみずしい演技をすることの衝撃について言っている。)ベッドシーン(ベッド無いけど)は、桜姫の浮かれた恋心と真性の悪人である権助の迫力がないまぜになり思わずなまつばを呑む。筋書きの後ろのインタビューで玉三郎も桜姫の人生について「理屈で考えると難しい」(p49)と触れているわけだが、理屈を超える演技であった。が……女という立場から見るとどうしても納得いかないよおん(涙)という気持ちでいっぱいだ。その筋も、またその筋を喜びオペラグラスでベッドシーンを見つめる観客にも。(注:歌舞伎座には若手俳優の2.5次元舞台ばりにオペラグラスで演技を追う観客がいます。)もちろん、いまの立場から古典を評価してしまえばほとんどが女性蔑視の要素を持ち合わせざるを得ないしそれに目くじらを立てるつもりはなかったのだが…。殊、文学とは異なり、歌舞伎/演劇という、いまを生きる生身の人間が目の前で古典を演じることは、演者・観客双方に相応の解釈力が必要なのだ。

理屈で考え続けると桜姫の恋はストックホルム症候群的なものとも言えるのかもしれないが、今回の四月歌舞伎はそういった理屈抜きで恋に落ちてしまった桜姫が演じられていた。そもそも鶴屋南北は爛熟した町人文化を反映していると言われるし(wiki情報)、玉三郎の芝居は姫が一時の「のぼせ」で社会的地位から転がり落ちるその様を目撃したく思わせるものだった。そもそも坊主である清玄も、冒頭いきなり少年愛に走っていたり妄執で姫に襲いかかったりとかなり狂っているしあんまり理屈ばかりで捉えてもいけない話なのだろうな。(もう少し南北とその時代について勉強する必要もあるだろう。)

と、文句ばかりつけたが、言っても後半を演じる六月歌舞伎は割合楽しみにしていて、理屈を超えた女を魅せる玉三郎が、はたして忠孝という理屈を前にどういった変わり身を見せるのかが気になるところである。また仁左衛門もやっぱり良い色男なのでそれも純粋に楽しみだ。

歌舞伎―女形 (新潮文庫)

(十六、七歳の器に入っているかのような玉三郎)

 

JUNK HEAD(2017年)

タカヒデ・ホリ監督。ストップモーションはまじですごいが物語は普通でエッ?と思った。一応三部作中の一つだから、ということではあるのでしょうがないのかもしれないが…。上映後の観客はかなり興奮している人が多いみたいだった。筋でしか物語を判断できないのは私の弱みだな。

 

グリーン・インフェルノ(2013年)

イーライ・ロス監督。人がちぎられる。

赤い顔をした民族の文化性についてはそりゃそうだよなという感じ。特にいまの時代では誰しもが持っているリテラシーのように思う。

グリーン・インフェルノ(字幕版)

 

記憶の夜(2017年)

チャン・ハンジャン監督、Netflixオリジナル。

韓国映画まとめて見てたことがあって〜、という話を友人にしたら勧められた。最初は正直、かなりNetflixオリジナル映画あるあるで退屈だった。つまり、大量の映画のプロットデータかなにかを集め、それらに共通する要素を抽出しただけの映画。この作品で言えば、信頼のできない語り手、過剰にむごい暴力、殺害シーンをあえてコミカルに描くこと、カーチェイス…等など。設定なぞっているだけだなとは思ったが最後の展開については私があまり見ていなかった展開だったので最後の最後で楽しめた。ネトフリオリジナルもなかなか進化してきている。

 

来る(2018年)

中島哲也監督。私は女なので(かつ子どもを持つ姉がいるので)、妻夫木(が演じている男)が全部悪いじゃんと思った。最後の展開に「霊能力者アベンジャーズwww」ってみんなが喜んでるのがよくわからない。原作読んだほうが良さそうだがあんまりホラー自体積極的に見ないからたぶん読まないままだと思う。

来る

 

ダンスダンスダンスール(2015年〜)

この本に勝る衝撃はない。序盤はバレエのセンスに長けた少年が、バレエスクールという居場所を与えられ次々にバレエの楽しみを吸収していく。そうするうちにバレエの「正しい美しさ」に目覚め、それを身につけることと自分のセンスと掛け合わせていく…。突然だが私は「天才物語」が大好きだ。とはいっても多くの物語がたいてい「天才物語」ではあるのだが、その中でもこれは『のだめカンタービレ』的天才物語で、抜群のセンスで周りを圧倒的な芸術性を見せつける主人公が、芸術の正しさにふれることによってより高みに登っていく…という部類のストーリーである。芸術、特にその中でもクラシックと冠のつく領域の、「何百年もの」の正しさに、たかだか数十年程度の鍛錬で向き合おうとすることはどれほど恐ろしいことなのだろうか、と考えるとぞくぞくと興奮してしまう。その一人ひとりの表現者のたゆみの無い継承こそが、クラシックを作っていくのだが…。

特に心ゆさぶられたのは、序盤の「Happy boy」であった主人公・潤平がまさに芸術やそれに身を捧げた者たちと比べたときの自分の空虚さに気づいてしまう15巻。序盤までは「まあ中学生男子だからね」で済ませてもらっていた潤平の思考の浅さが描かれていて(Amazonレビューを見るとそれが気に食わなかった人もいるらしい)、キャラクター造形としてそこで完結していると思っていたのだが、15巻に至ってそうした潤平の性格そのものが、彼が表現者として乗り越えるべきものとして描かれることになる。ここまで計算して構成している作者の力量に舌を巻く。作者のジョージ朝倉は『溺れるナイフ』を書いた人で、こちらはNetflixのウォッチリストの化石になっていたので早くちゃんと観ようと思う…。

少し恥ずかしい話ではあるが、自分の空虚さと向き合う潤平、目標に向かって努力し続ける夏姫、とそれぞれ青臭くも人生を生きていて、今年さんじゅっさいになる私も、なんとかせなな…と本気で思ってしまった。作中にも「本物の天才は観ている者に『踊りたい!』って思わせるもの」というセリフがあったし、本当にすばらしい作品というのは読んでいる者に『私も人生を生きたい』と思わせるものなのかもしれない。

ダンス・ダンス・ダンスール(15) (ビッグコミックス)

(中村先生がめちゃめちゃいい先生なのだ。いい先生すぎて「フィクションだ」とすら思う。ただ一流の人間には一流の指導者がつくものと思われるので、彼はそこまでフィクションな存在でもないのかもしれない。)