ブラック企業みたいな会社で働く

たぶん私はブラック企業みたいなところで働いていた。朝10:00から夜0:00まで。朝8:30に出て1:00に帰る生活、睡眠時間は平日で5時間くらい。金曜日は次の日の仕事に差し支えないから2:00とか3:00とかまで。体はどっと疲れて重い疲労感があり、次の日の仕事が怖くて山手線の中でちょっと泣く。「このまま何処かへ」と思っても山手線は乗っても乗っても同じところに着くわけで。みなし残業80時間で、そもそもこのラインを超えるとおえらいさんが叱られるらしくそのしわ寄せは我々に来るので実情に即したタイムカードは切らせてもらえずすなわち80時間を超えても残業代はもらえてなかった。
ブラック企業「みたいな」、というのは、とどのつまりは私はもっと酷い環境をいくらでも聞いていたからだ。朝の5時まで働いて、シャワーを浴びに一旦家に帰って、少しだけ寝て、朝の8時にまた出社、とか、退社しても家に帰るまでの記憶はなく気づいたら服を着たまま玄関で倒れていたとかいう、まあそれに類する話を聞いていると、まあ私なんてまだ耐えられるほうなのかなーなんて思ったりもしていたのだった。
これからブログで何回かに分けて書こうと思っているのはそういう、電源を落としたあとの液晶テレビのようなブラック、ではないにしろ、一日8時間の勤務時間を超えて働くのはやっぱり心身ともによろしくないし、それで身体や精神は簡単に壊れるし、そしてそれで会社に文句を言ったり休んだりしていい、ってことである。ちまたで回ってくるのはスーパー激務でぶっ倒れました!それで休みました!みたいな話ばっかりで、そりゃそこまでいったら休んでいいっていうか、じゃあそこまでいっていない私は、やっぱもうちょっと頑張れるのかな、みたいな後ろめたさを整理するために、ここ数ヶ月で起こったことを書き留めておこうと思う。

ブラック企業みたいな、と距離感は取りつつも、やっぱ私きてんなーと思ったことはあって、それが電車の遅延を知らせる電光掲示板を見たときだった。朝の通勤電車を待っていると電光掲示板に「…で遅れています。」と最後の一文が横切るのが見えて、私は遅延しているのがどの路線なのか確かめようと掲示板を凝視した。たぶん常磐線かどこかだった。「常磐線は…」とまで流れたときに、私は次に続く文章が「人身事故」だったらいいなと強く望んだのだった。
めちゃくちゃな不謹慎なので怒られそうだなー。でもなぜだか私はそう思ってしまった。別に人身事故と車内トラブルで大きく遅延時間に差が出るわけでもない(いや出るかも?でもいずれにせよ遅延だし)。別に明確に誰か死ねって思っているわけでもなく、また自分で死にたいと思っているわけでもない。余談だけど私は最近読んだ『アンナ・カレーニナ』のせいで鉄道自殺に対する強い恐怖心がある。死ぬまで仕事をしなくたっていいと思うしそれはどんな人に対しても当てはまる、至極共通認識であるべきものだと思う。
でも私はその時、次に来るのは「人身事故かな」と感じた。そして、もし人身事故だったとしたら私はその人に強く共感するだろうなとも思った。わかる。全部わかる。仕事が毎日終わらなくて、終わった達成感も成し遂げた達成感もないまま次々に呑まされる労働が耐えられずに足元が歪んでいく感覚が、そのとき、すべてわかり、だからこの空間のどこか、私が名を知る路線のどこかで同じ気持ちを抱える人がいてほしいと望んだのだった。
そのあと続いたのが人身事故だったか、車輌点検だったか、あまり覚えていない。