ここは退屈なので、誰かが迎えに来るのを乞うよりとっとと飛び出してしまいたいとおもうことが多々ある

そういう感情をよくよく精査してみるとそうおもうのはたいていが生理前でまあ落ち着いて黒蜜でも舐めましょうやという話ではあるんだけど。人は自分でしてきた以上のものにめったな限りなりえないものだしいま自分が抱えるそういう感情でさえ自分がどうしようもなく築いてきたものであるのだからしょうがない。

わたくしのいま現在の日常はだいたい下記のような感じである。
まず朝起きる。アラームで設定していた時間よりたいてい早く起きる。シャワーを浴びる。朝シャン派だ。ルベルの、頭皮がすっきりするシャンプーを使って髪の毛を洗い、マジックソープで身体を清潔に洗い、古い角質を落とすためにコンランショップで買ったボディブラシも使う。仕上げに菊正宗の化粧水ホホバオイルでお肌をすべすべにする。朝ごはんには玄米とキヌアとわかめを炊き込んだものに納豆と卵を。
以下略。

こうやって書くと冗談かってくらいうざったい感じがむんむんと立ち込めるわけだけど実は仕事から帰ってきてからの時間はけっこう自堕落なのでいわゆるていねいな暮しとも言い切れないんだけど、まあそれはいいとして、こういう、なんとか自分の心とかを落ち着かせようと思ってなんとなくルーティンにしてきたものがけっきょくのところなんの効能も持たないときがある。
ていねいなんか忘れさって私は暮しにドーピングが欲しい。といってもむやみやたらに浪費する生活にも、そういうのにいちいち後ろめたさを感じて、とどのつまりは金が必要になる行く末を考え直してしまう自分の思考の癖にも嫌気がさして、そこで私がだいたい走るのは断捨離である。断捨離。こちらもまた、かっこわらい、とも思わんでもないんだけど、「お金を使う」わけではないその行為にやっぱり恍惚を覚えたりすることもある。最近は、生活の退屈レベルが上がってきたためかそれともただ知的に怠惰になっただけかはわからないけど断捨離の対象に、いままでならなかった書籍も上がるようになってきて、まあKindleのUXの向上と比例してどんどん自炊していこう!という気持ちで本をさばいていっている。
書籍持ちはお金持ち、それはもともと書籍が高価ということもあるんだけど、書籍は所蔵するスペースが必要になるし、スペースには土地代・家賃がかかる。引っ越しするとなると本のためにダンボールを10箱もよけいに頼まなくてはならないのはざらである。要するに、所有者が動くにしろ動かないにしろ、本を持つことには金がかかることなのだ。
私は本が好きだし、本を持つのも並べるのも、それに自分の自尊心を投影するのも好きだ。でもけっきょく、金を持たない人が本/モノを持つのならその人はその地に縛られるほかない。なにかを捨てるという行為は、私はけっきょくここにいなくたって生きていけると思い込ませることができる、最高のドーピングなのである。(いまは)ここにいたくないんだ!私は。だってここは退屈なんだし。誰かに迎えにきてほしいなんて甘っちょろいこといってらんないし、いつかここでないどこかに行くために私は粛々と本の背を切り開いている。