家族旅行みたいな、「幼児(期)は遠くなりにけり」みたいな感情

別にブログにするほどのことでもないんだけど、家族旅行をした。関東近郊を父母姉+姉の子ども(姪)で五人旅。姪が生まれてからはじめての旅行で二歳になってぜっさんイヤイヤ期の姪は行く先々でごねにごねてゴネゴネ、残暑もあいまって年齢もあいまって姪一人以外は全員げっそり。ま、「もう二度とむりー」とみんなが言いながらもけっこう楽しんだんだけどね。
姪はわたしの子じゃないけれど、彼女を見ると自分が「こうだったかもしれない」とおもうには十分だ。わたしの母いわくわたしはもーちょっとおとなしいというか幼稚園に入るくらいまで口がきけなかったらしくそのぶん楽であったらしいけれども、散らかす食事、おむつに炸裂するうんこ、ちなみにうんこはおむつにしたところでそのまま捨てると臭いので、うんこはトイレに流すんですよ!そりゃそうなんだけどね、えんえんに泣いて夜中もぶすぶす言ってる姿はまあ「子ども叱るな来た道だ」ともおもうってなもんで。
姪という新メンバーの加入で、まあ一応これも家族旅行だったわけだけれども私の四人家族とはまた違った様相で、我々四人は全員、父母姉含め全員大人に、老人になり、お互いにムキになったりもまあしながらも、ある程度の距離を、お互いにしっかりと定規を置くかのように、取りながら旅行をこなしていく。「全員が楽しめているかしら」と思いながら歩くディズニーランドは少し気配が違って見えて、私も老けたものだと、自分の昔をはるか遠くに思った。
父母姉は同じところに住んでいるので私が新幹線まで見送った。彼らに着いていきたいようなそうでもないような、マジでとっととマンションに帰ってしまいたいような、なんか手土産でも用意してやればよかったと、入場券を買って入り口まで着いていってやればよかったと、いうような。なんかね、生理前みたいな感情よ。無闇矢鱈滅多にせつないみたいな、せつないの押し売りみたいなよ。
私もそろそろ生殖家族をと思う切実さとは完璧に違っていて、心に残るそれは生殖家族欲しさではなくただ単に誂えられた「家族」を居心地よく享受したいというような。しかしこの家族と定位家族をもう一度繰り返すのはしんどいだろうなという確信ももちろんありながら。

改札で見送る私を振り返らずに新幹線に駆けていく三人と姪を見つめたときに心に残るそれはなんつうか、わたしが幼児からいまになるまでのどこかに、まあいい意味で、落としてきた「過去」みたいなやつで、それはすこやかに眠る姪と同じような顔をしている気がしたのだった。もしくは眠る姪をおだやかに取り囲む、かつて私にも確実に向けられていた(いまもきっと)、愛、みたいなやつと同じ匂いをしている気もする。

ま、せつないの理由は秋のかおりが日頃に強くなってるせいか。