平凡な日曜日の終わりのなぐさみ

毎週末に「明日からの仕事がいやなんだ日記」(穂村弘のエッセイ集タイトルのぱくり)を書いていたらおもしろくは無くともそれなりの発見はある日記集になるかもしれないな。働き始めて数年になるけど毎年1ヶ月近い有給休暇を取っていたらすっかり労働との付き合い方が分からなくなり週に何度も通帳の預金残高を眺めるはめになっている。
土日の過ごし方もすっかり下手だ。ナボコフの『文学講義』を読み始めた。『ボヴァリー夫人』を今月読んだので、序章の部分(「良き読者と良き作家」)とその講義の分だけひとまず読もうと思っている。序章の部分の文章があまりにも美しいので興奮し、そして有り難い気持ちになる。肝心のボヴァリー夫人の講義の部分については、テクスト分析の読み方を思い出し懐かしい気持ちになりながら学生時代から時がかなり経ったせいか読んでいて精神的息切れがする。まあ一通り読むけれども。仕事ばかりしていると頭の使い方が偏ってくるので別の方向に拡張したいためにページを捲っている。といっても刺激を受け取る側のわたしの頭がなまけものなせいで講義本編についてはなかなか興奮作用がにじみ出ない。安いインターネットの動画・記事で興奮作用をちゅるっとすすりとる人生は自尊心(といっても怠惰なそれ)が許さないので本は常に机の上に積むなどはしているが。二月は読みたい本がたくさんある。ヴァージニア・ウルフ、須賀敦子、ユルスナール、…。
別の興奮作用候補としては観劇があって、二月の歌舞伎座についてはチケットが予約できたので一安心で心待ちにしている。歌舞伎の感想などもそろそろまとめて書かねばとこれも自尊心にせっつかれている。物を書くというのは興奮作用というより安心毛布のようなところがある。私はまがりなりにも文化の生産者側なのだから大丈夫だ、という、尊大でみじめったらしい、他者との距離の置き方の一つだ。もちろんこの文章も安いインターネットの記事の一つで、誰かの平凡な日曜日の終わりのなぐさみ程度にしかならないのだろうが。