82年生まれ、キム・ジヨン

「キム・ジヨン氏、三十三歳。三年前に結婚し、昨年、女の子を出産した。」(p6)という冒頭の一文で、悲しいくらい勝手にこのキム・ジヨン氏の有様を思い描いてしまうのは私が悪いのであり、歴史も悪いのであり、社会も悪いんだろうな。 

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

そのキム・ジヨン氏はある日突然、自分の母や友人が取り憑いたかのような振る舞いを見せる。明らかに精神疾患と認められるキム・ジヨン氏の初回診察のカルテとして、キム・ジヨン氏の誕生からこれまでが語られる小説である。

女の子ならいらない、と中絶を迫られたキム・ジヨン氏の母。女の子だから、部屋は姉と相部屋で、弟に丸々一室が与えられる。女の子だから、「好きな女の子にいじわるをしてしまう男の子」の気持ちは理解してやらなきゃいけない。女の子なのに、勉強をして何になる。女の子だから、就活で差別を受けて当然だ。女の子だから、結婚で早く辞めてしまうから、きつい仕事を与えても大丈夫だろう。女の子だから、結婚で早く辞めてしまうから、重要なポジションにはつかせない。女の子だから、セクハラや性犯罪にも耐え忍ばなければいけない。女の子だから、子どもを産むのは当然で、失うものがたくさんあるのも当然だ。
そういうことが徹底的に書かれ続けている。

キム・ジヨンが作中でぼこぼこにされる女性差別、女性蔑視は純度100%のそれで、そういう意味で私はここまで徹底的に差別や蔑視を受けることはなかったがそれ自体は私とキム・ジヨン氏を分断する重大なものでは全くなく、純度100%のそれだからこそ、それは普遍性を携え、私は実際に見たことはあるけれど忘れてしまった誰かの苦い経験をようやく生々しく思い出すのだった。

Tullyの映画を書いたときにも言ったけど、そして訳者あとがきにも書いてあったけど、私はこの本を男性にこそ読んでほしいなと思う。別に「女性差別を知らない男性」に「わかってくれ」とか「理解してくれ」とか頼んでいるわけではない。もうこの問題って、「彼女一人で解決できないことは明らか」(訳者あとがきp189)なもので、彼女一人で、とか、もっといえば女男の間で「起こった」「起こってない」「わかった」「わかってない」と言い合っても前進しようがない問題なんだよねえ。男性も、もちろんこの本を読んだことがない女性も、男でも女でもない人も、この本を読んでみてほしい。それで、「こんなこと経験したことある?」みたいな現場検証じゃなくって、こんな本が書かれるに至ってしまった背景を想像力を持って考えてみてほしい。そうして解いていく糸が、パンプスの問題とかレイプ判決の問題とか、わかりやすいほど醜く雁字搦めになった言説を一緒にほぐしてくれるのではないかと、ささやかに期待してしまうんだけど、ささやかすぎるんやろなあ…男女共同参画社会基本法の制定から今年で二十年ですね…。

というわけで結構精神をメタメタにやられてしまう小説で、あと「救われなさ」も壮絶なのでかなり苦しいというかほんとにトラウマある人は気をつけてほしいレベルなんだけど、それでも作中でメタメタにされながらも「いつか刺し返す!」と思って生きている女性の言葉は強い。まあたぶん上に書いた私の期待なんてささやか通り越してのーたりんなんだろうけど、こういう言葉がぱっと出てくる人間になりたいよね。


「こんなに怒っても娘が無反応なのを見ると、父は一言つけ加えた。
『おまえはこのままおとなしくうちにいて、嫁にでも行け』
 ところが、さっきあんなにひどいことを言われても何ともなかったのに、キム・ジヨン氏はこの一言で急に耐えられなくなってしまった。ごはんがまるで喉を通らない。スプーンを縦に握りしめてわなわなしながら呼吸を整えていると突然、がん、と固い石が割れるような音がした。母だった。母は顔を真っ赤にして、スプーンを食卓にたたきつけた。
 『いったい今が何時代だと思って、そんな腐りきったこと言ってんの? ジヨンはおとなしく、するな! 元気出せ! 騒げ! 出歩け! わかった?』」(本書p98、太字は私)