全然よくわからないけど、それでも子育てのこととか

夏の終わりにちーとばかし旅行をして飛行機に乗る機会があったので飛行機と言えば観たいと思っていたけどほんとにシアターに行くまでにはちょっと腰が思いなって感じの微妙なクオリティの映画を観たりする時間なので、というわけで今回の旅行のフライトでは”Tully”を観た。邦題は「タリーと私の秘密の時間」っちゅう、まあなんちゅうか昨今の日本人の情けない言語センスをもろ反映したものでありますわ。日本語版トレーラーも日本人は情緒をすべて失ってしまったのかな?っちゅうくらいまあしょぼくれたものでありまして、「時間のない現代の女性に送るーー」とかそういうコピーが入る、なんかこう、日本の歴史が丹念に育んできた詩情とは一体?という感じだったのだが、(長くなりすぎた)、この映画は育児に関する映画で、私の周りで子育てをしはじめたのは姉とか、学歴的バッググラウンドをほぼ同じくする友人とか、というのがいて、彼女らを見ていると「子育て」とか「母であること」に否応なく過剰に反応するようになり、その流れでこの映画も観たいなと思っていたのだった。そう考えていたところでちょうど機内で見つけたので、行きのフライトで早速。
結論から言うと、ま〜じで、昨今の日本の映画プロモーションの表象的貧困さを呪うというか、少なくとも「時間のない女性」(だけ)に送る映画ではなく、できれば女性というより男性に観てほしい、すなおにいいと思える映画だった。と思う。

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あらすじとしては、二児の母親であるMarlo(Charlize Theronが演じている)が期待せずに三人目を妊娠・出産してしまい、育児・子育て・生活にほとんど殺されかける。夫は育児をまっっっっっっったく手伝わず、食事も作らずマーロが(忙しさから)冷凍ピザを用意すると、「冷凍ピザ?おいしそうだね」などと嫌味をぶちかます余裕すらあり、夜中はヘッドホン!!!をつけてゲームをし、帰宅後は赤ん坊を見て「かわいいね」などと抜かす、ようするに子育ての汚いところ、うんことかゲボとか、をまったく見ない男性であった。
そこに、なんじゃかんじゃ略で、マーロの兄がナイトシッター(夜だけ来るベビーシッター)を勧める。マーロは見知らぬ人間を家のなかにいれることを拒絶していたが、ある日の夜、タリーと名乗る若い女性が夜中にマーロを訪れる。で、このタリーはスーパーシッターで、マーロが説明せずとも、完璧な育児に加え、家事までこなしていく、という話。

この映画はけっこうギリギリ的な物語の上で成り立っているので、うかつに感想を話したりするとネタバレになりかねないので、ちょろっとした私の話だけ。上述のあらすじのところで私がめっちゃ力を込めて夫の育児のしなささを書いたことからもわかると思うんだけど、物語前半のワンオペ育児シーンはまじでちょっと悲惨である。世の中の母親が観たら「わかるわ〜」どころじゃなくてちょっとしたトラウマも思い起こしかねない。それでもマーロはなんとかこなしていくし、タリーが来てからはさらにその育児っぷりは順調に進んでいく。まあここからは以下略で、で、やっぱりここからはネタバレになりかねないのでまあ観る予定のない人だけ読んでほしいんだけど。

 あるシーンで、夫がこう語るシーンがある。英語引用はうろ覚えなんだけど。”I thought you were doing great.”(ちゃんと立派にやっているんだと思っていたよ。)マーロはこう返す。”Wasn’t I doing great?”(立派にやれてなかった?)夫:”Yes you are, but fuck that kind of great, I want you to be just OKAY.”(立派だったよ、でもそんな立派さなんてどうでもよくてさ、僕はマーロにただ、大丈夫でいてほしかったんだ。)
私はさ世の中の母親とか育児を担っている人びとがどれくらい「立派」にやろうとしているのかなんとか「大丈夫」なラインを見極めてバランスを保っているのか、わからないけど、でもそもそも子育てにおいて何が「立派」で何が「大丈夫」なのかは誰もわかんなくて、「大丈夫でいてほしい」だなんてやっぱり育児を負っていない人が言うセリフなのかなと思っちゃったんだけど、でもそれでもあー私のちかしい母親たちにも大丈夫であってほしいなって思った、立派なんかじゃなくていいからさ、「立派」と「大丈夫」の正体なんて重ね重ねわからんけど、「大丈夫」のラインをなんとか一緒に見つけていく努力をするぞ、という、そういう決意を強く持ったのであった。

むっちゃ話が変わりますが、先日スーパーちんぽ(セフレのことです、RIP暇な女子大生)と子どもを産むこと一般の話をした。私は、男性にも子どもを産める選択肢ができない限りはなんというか自分が出産したくない派の人間で(これを他の人に話すといつも「?」みたいな顔をされて自分でもうまく説明できないんだけど、ようするに出産なんてできれば誰もやりたくないことで、やりたくないことを、女性がまんこがあるからという理由だけでやっているんですよということを知ってほしいのだった)、まあ難しいところは略して詰まるところは出産は痛くて辛くて苦しいからできればやりたくないよと言ったらスーパーちんぽは「どうして産んだ経験がないのにわかるの?」っと笑ってのけたのだっっっった。だ〜〜〜からお前はスーパーちんぽのままなんだよ〜〜〜んってツバでも飛ばそうかな?と思ったけどね、答えはね人間に想像力があるからだよ。誰かを思ったり、あるかもわからん「立派」と「大丈夫」をあるものとしてなんとか想像し探し当てようとする気力が人間にはあるからだよ。私は「経験してないからわからんじゃん」などと、人間の痛みや苦しみを突き放す人間にはなりたあないし、子育てに平気で「立派さ」と要求する人間にはなりたあないし、そういう想像力を鍛えるためならいろいろ苦労もしてみまっせ。と、飛行機のなかで思ったのだった。忙しい現代女性だけじゃなくってさ、いろんな人がいろんなかたちで協力してかなきゃ生き抜いていけない21世紀をハッピーに過ごすためにもいろんな人がこの映画を観てくれると良いなと思うんだけど。どうかな。