キレる世界とデコ武器

気づいたら4月も21日になっていて。まあいろいろあったけれども結果としてなんとか勤労がはじまり、なんとさっそく8時出社20時退勤の、働き方改革とやらに中指立てていく働き方で驚く&疲れるばかりよ。いや、わたくしまだ研修生なんですけれども。まあ、組織の思惑というのもありますけど。

「おまえは働くことに対して絶対向いていない、まあがんばれ、愚痴があったら聞いてやるからな」と優しいんだかけなしてるんだかわからないことを言われ続けていた私であるが、不思議と働くということに関して愚痴はない。その理由の一番シンプルなところにあるのは私はまだ研修生で言われたことをやってるだけで別に「働いてる」って感じは皆無だからなんだよな。研修はまじでだるいけれどもまあできるか&知ってるかと聞かれればやっぱりできない&知らないしそれがやんなきゃいけないことなんだと言われたらやるしかない。何より働くというのはお金をもらうということなんだしそれが滞りなくいただけるのならば捧げましょうこの時間。という気持ちになりますし。

でも働く、ということに関してではなくて人のあり方みたいなところに関しては激しい怒りを覚えることが多々ある。もちろん、朝6時半に職場行きの電車に乗るとまあまあ混んでることとか、みんなの顔が死んでいることとか、みんなまあまあストレスを抱えていることとか、人生とは?と思うことは多々あってそこらへんの話は今度書きたいと思うんだけど、私が怒りを通り超えて虚無ったのは会社による人の取扱い方についてだった。かんたんに言うと研修中に遅刻してきた人がいて、その日の退勤時刻を過ぎたあとに「緊急連絡」とやらがはじまり研修担当の人がその人を吊し上げ、名前をはっきりと声高らかに呼び、反省の言葉を述べさせたのであった。
なんというかさ、小学校かよ。と思うんだけど、それより先にこれが人を教えるあり方なんだろうか?とまじで気分が悪くなってしまったんだよね。確かに遅刻してくるほうが悪い。ヒャクパー悪い。だけどそれを見させられる私たちの気持ちは?遅刻した人の恥の気持ちは?人を吊し上げ、見る者を萎縮させ行動を抑制しようとする、その中世的やり方が、それなりに知性と愛を獲得してきた我々の、やっぱり詰まるところの合理的で最適な行動なんだろうか?

人間、どうせ人間同士で付き合っていかなければならないのなら、殺される人は少ないほうがいい。ラブがあったほうがいいしピースがあったほうがいい。気持ちよく生きていきたい。ラブアンドピースを達成するんだったら尊敬・リスペクトみたいなものが不可欠で、リスペクトを与えられ与えて生きていきたい。
でもこの、私がいま、退勤時刻を過ぎ、一日の疲労がドヴァっと全身を満たすなかで見させられるこの茶番は、果たしてリスペクトがある行為なんだろうか?

たぶんこれを読んでる人は、なんでこんなキレてんねんこいつと思っているんだろうけど自分でも不思議に思う。まあ私も私なりにストレス溜まってたんだろな。

 

唐突なんですけど、さいきんNetflixでDave ChappelleのStand-up comedyを見た。めっちゃおもしろいのでぜひ見てほしいんですけど…。
この回しか見ていないんですけどまあ見れば分かる通り、彼はBlackというやつで、この回についてはいまを生きる人々の「傷つきやすさ」であったり、それも含めた黒人の立場、ドナルド・トランプの政治のあり方について述べた回だった。彼はトランプ政権を嗤いながら、その政権の動力の本質が人種ではなく貧富にあることを見抜き、トランプを支援する「貧しい」「白人」の人々を紹介し「トランプは貧乏白人のためじゃなくて金持ちの俺(黒人)のために戦ってくれてるんだぜ」と叫ぶ(選挙期間中にこのネタをやったらトランプ支援者だと誤解されたらしいが)。ヒラリーはトランプの何百倍も良かったが、それが「ダース・ベイダーの”I have a dream”スピーチのようだった」と笑う。彼はLGBTの人たちに対してその傷つきやすさを指摘する。トランプの差別的発言に怒り心頭のアメリカ国民に対し、「いつからこの国はそんなメソメソする国になったのか?」と言う。Chappelleの世評はクリティカルなものでありながら同時に愛に溢れたものであり、そうして意見を世界に発信していく姿はなんというか、「おしゃれ」だと感じる。(一番笑ったのはアメリカと北朝鮮、というよりトランプと金正恩の関係について「北朝鮮をナメてるやつはコールオブデューティやったことないだろ!おれは昨日8歳の北朝鮮の子供に部隊全員殺されたんだ!」というところなんですけど まあともかく。)(ちなみに最後に出てくるEmmet Tillの話はとても衝撃的だったので日本人にもぜひ知ってほしい。)

上述の吊し上げ処刑が終わり、22時近くに家に着いて、ぼーっとNetflixでこの回を繰り返し見ていたら、まあなんつうか私も、傷つきすぎて、怒りすぎたかなと反省した。残念ながら、傷つくのは簡単なのだ。実は怒るのも簡単だ。だけどやっぱり、いちいち傷ついて、いちいちキレてるんじゃ感情がいくらあっても足りないのだ。傷つくこと、怒ることに対してなんとか知恵とユーモアとラブを持って対応し、表現し直し、仲間を集めていくのが、それこそ知性と愛を獲得してきた人間の一番オシャレな武器なのではないか?

あんまり、ニュースとか追えてないんですけど、世間では政治のあり方とか、とりわけ男性による女性の扱い方(セクハラとか相撲の一件とか!)で怒りがグッツグッツと煮え立っており、私もマジでひっでえなと思う。この国で女性として生きることにとても惨めな気持ちになるし。
でも私はそういう怒りをそのままぶつけることは選ばないと思う。ましてやそういうのを、しょーもない紙に創英角ポップ体で#Me tooとか書いてばっちり写真を撮られてみるあり方はやっぱ避けたいなと思う。私には言葉がある。人を救いたいという気持ちもある。できればそういうのを軽やかにこなしていきたいなという自尊心もある。そういうわけで私は、理不尽を感じることはやまほどあるけれど、手に取りかけただっせえごっついルイス軽機関銃をそのままぶちかましちゃうのではなく、かつて流行ったデコ電ばりにさ、愛と爆笑でデコって生きていこうと思うぜマダファカ。

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