セール品の購入と人生の消極的な選択の話

なんつうか脳内はやっぱり春。わりあい誰に会ってもこれからのことを思い悩んでいたりしてもちろん私もその一人。私はこの春から就職して企業に勤める予定なんだけど(予定は未定だし何が起こるかわかんないのでアレですけど)同業他社に勤める人と話す機会があった。その人の脳内もやっぱり春で、一年勤めたけれどもこれでいいのかなあという話なんかをした。

その人もやっぱりこれでいいとはまったく思っておらずというよりむしろ現在職場厭我一刻早退職欲感満載だったので早速転職の話になり、私が「具体的にはどうするんか」と聞いたところ「×××を知っておくとお得そうだからそれ系の会社に入りたい。そこでキャリアを積んで転職する。」とのこと。

ああこの既視感。「…しておくとのちのち楽なのではないか」を繰り返すその人に私は「でもそれって本当にきみがやりたいことなのか」と聞き返したのだ。えらそう感いなめないけど、私もそういう間違いを繰り返してきていたからその人にも確認したかったのだ。

××の学部に入っておくと就職楽かな。とか。

××の会社に入っておくと転職楽かな。とか。

××の学部に入らなかった私、××の会社に入らなかった私は反実仮想でしかないからわからないけど、実際のところ別に楽とか苦とかは関係なかった気がする。私は上述みたいな期待をしてそういう学部に入ったりそういう就活をしたりしたけれども、箱を開いたりほかの同期に聞いてみたりすれば、別に学部レベルだったらそうたいして就職に差はないし(どちらかというと学部というよりそこで何をしてきて、どれほど面接官に対して具体的に話せるかが重要だった)、会社の名前で選んだはいいけど自分として何が身についてるかっていうとよくわからなくなる人もいる。むしろ、私なんかはそういうお得根性で選んだ選択がその後の自分の選択を狭めてきたことに苦しんできた。せっかく××やったんだから××生かしたほうがいいのかな。とか、××やってきたけど○○やってきたことはないから○○の選択は取れないな。とか。でもほんとに××ってやりたいことだったっけ。○○やりたいんじゃないっけ。でも○○やるには知識も経験も足りてない。

こうして、消極的な選択がどんどん積極的な選択を打ち消していく。

脳内はけっきょく春で、私は自分が積極的にどんな選択をしたいのかずっと思い悩んでいる。二十六になってまで、さいきんのもっぱらの関心は「十三歳のハローワークもっかい読みてえな」だったりする。26と13、よく見たらダブルスコアじゃんかよ。でもさあその人と話してて、まるっきり、自分と同様の選択の取り方をしようとしている人を目の前にみて、アッと思って以下のことを伝えた。「けっきょくセールのときに『そんなに好きじゃないけど安いし買っておこうかな』って買った服なんて着たくないし着ないんですよね。」

セール品、お得だから買っちゃうことちょっと多い。さいきんは服飾費抑えてるからそんなことはないんだけどまあそれは閑話休題。

いまの気分じゃないけど、なんか、かわいいし、春になったら着るかもしんないし、なにより安いし。

そういう根性で買った服って、けっきょく春になっても着ないのだ。着たとしてもしっくりこないのだ。

なんというかさ。私はまだ全然人生がまともに機能してねえっつうかまともな生産をこなしていないのでなんとも言えないんですけれども、なんかこういう「これやっといたほうがいいのかも」という感情で動いた結果が自分にとっていいものだった記憶って全くない。消極的に、なんか未来の自分が救われるかもみたいな動機で選んだものってけっきょくどこにへもつながっていかない。たまに思い出したように顔を出して、子どものころにうっかり手のひらに突き刺してそのままの鉛筆の芯みたいに居座ってるだけ。

その場、その場、その場の自分。その場の自分の欲を満たさない限り、セール品も選択も意味ない。あああ、ここまで文章にできるくせにわかんない。積極的な、積極的な選択は私のどこに埋まっていて。掘り起こさなくちゃいけないのに。

あーあーあーあー、二十六になってもこんなこと言ってる私、私はけっきょく自分の積極的な選択なんてわからんくて、あーあーあーあ、目の前には毛玉だらけの、セールで買った、使えない春のカーディガンが山積みになっていて、あー私は今年こそはレザージャケットを買おうとしていたような気がするのに。だってこのカーディガンに合うようにほかの服も買っちゃったから。いまさらレザージャケット買っても合わせる服ないから。私はださい春色のカーディガンを着てそれが似合うような場所に行って、そういうのが好きな人にちやほやされて、それでも帰るときには「今日の合コンもつまんなかったなあ」って。あーあーあーあ。