先日、『A子さんの恋人』という漫画を友人に借りた。
漫画通のその人に、おすすめの漫画ある?と聞いたら返ってきた答えだった。読んだ。
A子さん、という女性が、三年間のアメリカ滞在から帰国する。どうやらA子さんはアメリカ滞在中に恋人を作っていたらしい。別れるつもりだったが、その恋人A君に流されて、「1年くらいでアメリカに戻ってくる」と言っちゃったらしい。しかしさらに、A子さんはアメリカ滞在前にも恋人がいたらしい。別れるつもりだったが、その恋人A太郎君に流されて、なかなか決定的な一言が言えぬままアメリカに行き、暮し、そしてのうのうと日本に帰ってきちゃったらしい。
という、三本の人間のか細い線がよろよろと、ついたり離れたりする話。2016年11月現在、三巻まで刊行。
これ、東京で、恋愛で、30代に入るか入らないかっていう女性はどう読むのかなあ。
私はA君に愛されるA子が、うらやましい。
私はめちゃくちゃえぐられた。なんかこういう漫画で「えぐられた~」っていうの、なんかアピールじみててあんまり好きじゃないんだけど(だいたい、現実というのは、フィクションによってえぐられるほど、奇にあらず)、私がえぐられたのには理由があった。まあ私もA子さんと似たような状況にあったのだ。
ある期間、海外にいて、恋人を作って、置いて帰ってきた。
まんまA子さんとA君である。A君のスキンシップを見るたびに、そやつのことが思い出された。まあそれは都合のよいオーバーラップで、私がえぐられたのには別の理由があった。私の場合、私が捨てられたのだ。「A君」にだ。
私はある期間、海外にいたことがあって、そこで恋人を作った。お互い学生で、私は交換留学という決められた身分だったので帰国しなければならなかった。ので帰国した。ある期間、連絡を取り合っていたが、なんとなく返信のタイミングが遅くなり、一日空き、一週間空き、空き空き空き、ついには「もうこういうのできない」と連絡がきた。
まあ、それはよくあることで、つうか第一私が彼のためにその国に戻る予定など微塵もなかったのだし、彼にとっては(そして私にとっても)当然の選択だった。私が傷付いたのは別れ自体にではなかった。私が本当にそやつにえぐられたのには別の話がある。その後、なんとなくつながったままのフェイスブックを見てみたらそやつの写真、しかも、そやつと、日本人の女の子とやたらと距離感近めな写真がばさばさ上がってくるのだ。そやつが直接写真をあげていたのではなく、女の子が、そやつをタグ付けするので、こちらのフィードに流れてきてしまう。二人の距離はだんだん(物理的に)縮まっていき、いきいき、まあ、要するに、付き合っていたのだ。私と「別れて」からそう長くもないときに。
私はこの作品を読みながら、そやつのことを思い出した。A子さんはA君にいう。「1年くらい(で帰る?)かな?」。私はそやつと、そんなに長いこと持てなかったのだ。しょうじき、ひと月も持たなかったのだ。
私はA子さんがうらやましいと思った。三巻まで読んだけど、半年も一応待っている(待ってくれてる!)A君。三巻の展開にはそわそわしたけど。
いいなあ、こんなん、なかったなあ。
いや、ゆうてフィクションですし。
…と思ったところではっとする。いや、これフィクションやん。フィクションフィクション。どぎついフィクション。
こんなんね、無理よ、むりむり。そのうち適当な女とヤるわ、A君。男はね、遠くの女より近くのまんこだよ。本当。A太郎もな、いまはA子にふらふらしとるけど、そのうちまた浮気するて。男はね、不幸な女性より幸福な女性器だよ。そんなもんよ。私の限られた経験のなかで男性全体を一般化するのは大変よろしくないけど、まあ、私の乏しく悲しく切ない経験からでいえば、そんなもんだった。
人間の関係性。
思うに、すご~~く少女漫画ちっくなことを言うけど、人間の関係というのは、それを保持するのに多大な努力を要するんだよね。定期的に会って、好きといい、好きを態度で示さないと、人間ってのはすぐにダメになっちゃうんだぜ。…って、いつだかの芥川賞、羽田圭介『スクラップアンドビルド』でもそんなことがちらりとささやかれておりました。フロムも『愛するということ』で「愛することは技術である」って言ってたのだ。愛、ひいては、人間の関係は、なんども試み、試みようとしなければ持続しないのである。そういう努力なしに成立する人間関係というのはまれで、ぼーーーーーーーーーーーーーーーっとしているだけで、A君からの、時間的にとどまることのしらない、彼の愛の表現を享受できるA子さんなんてものは、人間界に、存在しない。
A子さんは存在しない。そういうところで我々は夢みて、過去の恋愛を思い返し、すり減っていってはいけない。人間関係がほしいのなら、それを持続するための努力を怠ってはいけない。ぼーっとせず、夢みず、技術を磨かなくてはならない。
まあ、べき論で最後語りましたけど、そもそもそんな人間関係なんて必要?ていうラディカルな問いはここでは語らない。必要と思うのなら、という話であって。
そもそもついでにさらにそもそもいえば、A子さんはどちらかというと女性というより男性っぽい。ポリコレ時代もしくはポリコレ先鋭化時代のいま、ジェンダーで区分分けすることはいらんことに火をつけるかもしれないけど。まあそれはさておいてほしい。A子さんはまじでなんも考えていない。A君のことも、A太郎のことも。いわゆる乙女っぽい悩みに苦しんでるわけでもない。恋愛とか結婚、というものより、自分の人生や決断の威力について考えをめぐらせているから、A君もA太郎もほっとかれているのである。
(A子、いいなあ。)と思いながらも、A子は”私(女)がうらやむべき女”ではないのである。どっちかっていうと、私のことをこれまで捨ててきた、男たちのほうの感性に近いものを、持っている。
というのが、自分の経験から透かしてみたこの漫画の感想だった。実はこの私の失恋話は一年間に亘って私の頭を悩ますほどの重い問題だったので、自分の経験と重ね合わせるという行為が強烈に全面に出てしまった読書行為だった。漫画としての評価はよくわからない。こういう恋愛にあこがれたりするんだろうか?女性。ちなみに漫画として思ったのは、二巻くらいからちょっと“東京”物語っぽくなって「イナムラショウゾウのケーキが…」とか「カヤバ珈琲で…」とか出てくるのはちょっとだせえな!と思った。なんつうか日常系アルファツイッタラーって感じしますよね。同意するときに「それは本当にそう」って言うタイプのツイッタラーです。もしくはていねいな暮らしインスタグラマー。もしくはことりっぷ。独特のコマ割り、テンポ、線、ほかにないものが詰まった漫画なのだからそんなところでアッピルしなくたっていいのにね。ま、カヤバ珈琲はほんとにいい店だと思いますけど…。
- 作者: エーリッヒ・フロム,Erich Fromm,鈴木晶
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