人生に、不満ばかりだ

人生に不満ばかりだ、ここのところ。なんだか頭を坊主にしたい気持ちであふれている。女の髪に血が通ってなくてよかった、と言ったのは綿矢りさなんだけど、私の場合も髪に血が通ってなくてよかったタイプ、人生のうまくいかなさと、髪の毛の明度、輝度、彩度、それと長さは深く関わっていて。
どうしたら不満ばかりじゃなくなるんだろう?私がこういう、公開のブログ上でこういう話を書き続けているのはいつか誰か(「王子様が」)がというか、いつかどこかでほんのわずかばかりでも同意してくれる人がいるものだと信じて書いていて、そしてこういう頭の「かゆさ」を抱えている人は絶対にいるものだと私はわかっているのだが、さて、どうしたら私は不満ばかりじゃなくなるんだろう?私の年代はいわゆるアラサーというやつで、否応無しに心の一番弱い部分に飛び込んでくるソーシャルネットワーキングサービスはですよ!高校生のときから夢をそれなりに描いていた人たちが見事魔法のようにそれを現実に映し出し動かしていることを親切心で教えてくれる。ああ確かに彼らは、人生を逆算してその時時の行動、具体的に言えば志望校や志望校後の選択肢などを、確かに表明していましたね、あれは、そういうことだったんですね、というような。そういう人たちばかりが目の裏にこびりついてこびりついてこすっても取れなくて汚くて、私は毎日葛藤を抱えているよ。いやだね。私は逆算も、人生の適切な計算も、できなくて、ときどきの人生のマイルストーン(入試とか、就活とか、就職とか)で髪の毛をばっさりそったりそめたりすることで溜飲をがっと下げている。そんな、毒を飲むみたいな飲み方じゃあいけないってえのはもう何年も前からわかっているのに、私は逆算の仕方がわからない。どうしたみんなあんな、逆算がうまいんだろう。自分の逆算を信じられるんだろう?私は逆算する前から「不確実性」の言葉がよぎってけっきょく安牌を切ってばかりいる。ああ、考えずにできる「ニコニコ」っていいものですね。そのうちなんだかそんな安牌ばっか切ってる自分が情けなくって卓上の牌を全部がしゃーーーーっととっ散らかせて周りに迷惑ばっかり、みたいな、そういう人生の代表のうち、「そういうのでもいいじゃん」っていう私のゆとり世代の部分が笑顔で輝きながら後ろで待機してくれてはいるけれど、別にそういうのでもいいじゃんなんだけど、じゃあ、私のこの頭のかゆみは、なんだっけ、脳を取り替えたら、治るんだっけ、私は、結局、どうするんだったっけ?って、ずっとここんとこ考えてる。

ニューイヤーレゾリューション

ニューイヤーレゾリューションという言葉がある。新年の抱負とかいうもの。年が変わればなんか自分も変わるような気がしてしまってツイッターやブログにxxしたいを飽きもせず書き連ねてしまったりする。一方で私の場合は今年はまったく「新年み」なるものが感じられず従って新年の抱負なんてものを書く気もあんまり無い。いま、去年(2019年)の目標が冒頭の1ページに書かれている日記帳兼予定帳を見てみると、①転職②貯金③筋トレ④勉強(映画や美術館に行く、本を読む、ある特定の分野の勉強)等々、書かれており、なんか別に変わってなくね?と悲しくなってしまったのが本音だった。ちなみに2018年の新年の抱負も残っていてこちらはご丁寧に2018年末の反省がコメントで入っている。まとめて言えば、やっぱり年が改まったって自分の行動やら惰性はなかなか改まらん、という話。同じ過ちを繰り返して同じ惨めな気持ちを思い起こすのはこれ以上やめたほうがいい。

もっとポジティブに新年を、と思ったときに最適な方法はなにかと考えたが、2019年に経験したことをちょっと備忘的に書いておこうと思う。自分がどれくらいのことを成し遂げられる人間か、またそれらのことについてどういった評価をしている人間なのか、わかるような気がしないでもないためだ。

手元の日記帳と、2019年からはじめたGoogle scheduleで振り返ってみる。新しいこととかいつもやっていることとかも含め印象に残っているものを書く。

①会社を休職した

いきなり重いのきたな。まあいいや。労働時間がえらいことになり、あっというまに惨めな気持ちになって泣きながら電車に乗る日が続いた。精神がつぶされてしまったので産業医に相談して休職。詳細は前書いた

②映画とか展覧会によく行くようになった

大学を卒業している者として文化教養には親しまなきゃあかん…と十九歳のころから考えていたが、2019年ついに行動に移した感がある。2019年はていねいに映画や展覧会の半券を日記帳に貼っていたのだが、月に2-3回は何かしら楽しんでいたっぽい。2020年も展覧会にぞくぞくと行っているが半券を捨ててしまっている。半券集めは再開してもいいかもな…。2019年に見て一番良かった映画を思い返すとうーんやっぱスパイダーマン(アニメ)は衝撃だったかな…

https://bd-dvd.sonypictures.jp/spidermanintothespiderverse/

③dマガジン読み始めた

月額400円でわりと大体の雑誌が読み放題。好きなファッション誌が読めるのもいいが、「買うほどじゃないかな…」と思っていたインテリア特集の雑誌がもれなく読めるので結果としてインテリアの勉強が少しずつできるようになった。みんなに勧めまくっている

dマガジン | 多彩なジャンルの人気記事がいつでもどこでも読み放題!

④そういえばボランティアに行くのはやめちゃった

子どもに勉強を教えるボランティアに通っていたんだけど、いつのまにかフェードアウトしちゃった。「決まった人がいる」っていう状態がなにか苦手なのかもしれない。

⑤パーソナルトレーニングに通い始めた

といっても2017年くらいから筋トレ自体はしていたので、月に2回、フォームを直しに行く感じである。ちなみに2019年は体重・体脂肪ともに激増している。単純に酒を飲み飯をアホみたいに食っているからだ。ボディメイクの基本は食事ですよ!みなさん。最近はPTも諦め?て「背中のお肉が邪魔でローイングできてないですよ」と指摘してくるのでもうなんかおもろくなってきた。1月中はちょっと減量するつもりですが…。

⑥そういえば大学院の説明会にも行っていた…

休職話もあって、大学院の説明会に行っていた。最近興味がある分野の一つの研究室に話を聞きに行ったが、「なんかまた修士課程から、学問のお作法を学ばなくてはいけないのかなー」とモヤっとしたので検討するのをやめた。あのまま検討していたら今頃春からはじまる新生活にワクワクしていたのかも。でも学問の世界に行くならいままで全然違う環境がいいなと思うな。

⑦嫌いなやつと連絡を絶った

エグみのある言い方だが、ずっと嫌なことを言ってくるやつとトモダチしていたが、なんか日々擦り切れていくな…と思いLINEの返信を適当な感じにした。向こうも気づいた?のかそれで連絡は来なくなった。限られた自分の時間を嫌いな人間に割く必要はないなとまじで思う。

⑧英会話に通った、一瞬

3ヶ月だけ英会話に通ったけど、なんかうまいこと自分の英会話力がexpandする感じがなくて3ヶ月1タームで終了した。英語使ってみましたよん。たぶん、英語をしゃべるってよりもインプットを増やしたほうがいいような気がする…。読むとか聞くとか。

⑨海水浴目的ではじめて東京の海に行った

おもくそ日焼けして、しっかり自分のおっぱいにはビキニ型の焼き目がついて、エロくてええやんと自己肯定感が大変あがった。これは今年もやりたい。

⑩トランジットでウィーン観光を6時間で行った

いままで、「トランジットで市中に出るとか!なにかあったらどうするの?」とびびりまくっていたが、事前にグーグルしてなんとか成し遂げた。旅行に行った国自体よりウィーンのほうがツボだった。今度はオペラ座に行けるといいな。

『滞在4時間! 乗り継ぎついでにウィーン観光♪』ウィーン(オーストリア)の旅行記・ブログ by ひでまるさん【フォートラベル】

↑めっちゃ参考にした

⑪海外出張が多かった

でも英語があまり話せず(話せるんだろうけど勇気が出ず)、役に立たずにみじめな気持ちになっただけだった これはなんとかしたほうがいいのかもな…。

 

なんかこう、思いついたままに書いているけどこの話オチがないな。2019年を振り返ればそういえばそういうことしてたなってのもあるし(⑥大学院説明会とか⑨東京の海とか)、自分なりに自分の状況を変えようと必死だったのがよくわかる(①休職とか⑤PTとか⑦絶交とか)。となると次はもう少し自分がフィットできると思える場所を見つけられるといいね、って、結局ニューイヤーレゾリューション決めるんかい。いや、そういうわけじゃないんだけどさ。やっぱ、人生って積み重ねだし。

韓国映画『パラサイト』がおもしろかった話

新年一発目、年末から見たくてそわそわしていた『パラサイト』を特別上映で見に行ってきた。こういうとき、東京ってのはいいやねえ。と実家でゆるんだ頭の時差をかけ直す。

ネタバレ、しないでくださいね!とキャスト総出で念を押し押し。私も『鬼滅の刃』やら『約束のネバーランド』やらの話題作をジャンププラスで無料分だけ読んでは残りはwikipediaのあらすじを読んで満足する、という妙な性癖があるので口を酸っぱくしたくなる製作者の気持ちもわかる。クリエイティブにとっては嫌な時代になったね…肝心の本編だけど、めちゃめちゃパワーがあり、おもしろかった。「100%予測できない」という触れ込みだが、というよりも予測できてもとにかく面白い。当然と意外が観る者にはまっていくさまが気持ちいい。こういうテーマを取り上げているのは日本映画でも多いけれど、テーマを真正面に取り上げてそこにあらわれる「機微」なんかを浮かび上がらせようとするのではなく、テーマを取り上げながらもそこに芯の通ったストーリーを打ち立てる韓国映画、強すぎる。これは『新感染』でも思ったことだった。この作品もめちゃくちゃおもしろかったな。(奇妙な邦題にしてしまった文化的敗北が私の胸を刺す。。。)

『パラサイト』を見るにあたって、韓国文化が全然わかんなかったらどうしようと思ったけれど振り返れば隣人よろしく韓国作品はいろいろ読んでるもんだな。韓国の全体的な状況は 82年生まれ、キム・ジヨンで語られていたし、韓国の大学生たちが置かれたすさまじい状況はチーズインザトラップに描かれていたなあ。

チーズ・イン・ザ・トラップ(1)

チーズ・イン・ザ・トラップ(1)

  • 作者:soonkki
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/08/22
  • メディア: コミック
 

 はーしかしこの辺の話もだけど、やっぱ韓国カルチャーってパワーありまくりやわ。すごいわ。情緒とかしみったれたマイナーチェンジを「文化」と呼ぶのを一旦止めにして、マジモンの感情を新しく創り上げることを、世界全体が求めているんだろうな。とりあえず2020年もたくさん勉強し、たくさん書いていきたい。

そんなに真夏でもない夜の、かつてあった夢の吐露一本勝負

いっつも文章を書くときはなんかに焦ってて、まともに美麗な、美麗でなくてもうまく構成された文章にしたいのになって思うのに毎度殴り書きのような話になっちゃうな。

この前下北沢で遊ぶことがあって、遊ぶっつっても一人だったんだけど、大学生のとき下北沢にはちょいちょい来たことがあって、といってもビレバンで売ってる小説の主人公みたいに「下北沢は庭です」って言えるほど遊んでたわけじゃなく、西口と南口と北口のつながり具合だけを認識してるくらいなんだけど、久々にB&Bで遊んできた。

ここは皆さんご存知だと思うけど、ビールを飲みながら本を買える店ってことで、かなり書店内での行動が自由に(ビールも飲めるし、座って本も読めるし、なんと家具も買えてしまう)できるんだけど、行った日はたまたま音楽イベントをやっていて入場料を払うことになってたから、これで滞在費は払ったことでってことでビールも買わず自分の家かごとく、本を漁っては積み、読み、戻し、漁り、積み、戻しをひたすら繰り返した。(なんかマナー違反だったらごめん。)短歌とか、建築とか、お金の話の本とか、美術、あとはフェミニズム系が特集されていたのでそれも読んだ。こういう本の漁り方って、振り返ればかなり久々、それこそB&Bが開業して、一、二年はこうやって本に囲まれて過ごすのが好きだったんだけど、なんだか私もずいぶん変わったと自虐的に自省した、けど一方でむりやりこういう時間を過ごすことで、こういう時間を過ごせば私はいつだってこの時間に戻ってこられるのだと思った、贅沢な時間に浸かっていると金銭感覚もふやけてきてドサドサと本を買ってしまったわけだが…。

女性を弄ぶ博物学―リンネはなぜ乳房にこだわったのか?

女性を弄ぶ博物学―リンネはなぜ乳房にこだわったのか?

 

 (↑これ買った。博物学(分類学)がいかにジェンダーに規定されながら成立したかを論証する科学社会学あるあるな感じの話なんだけどそもそもまともに勉強していない人間は問題設定のあざやかさを好きになった)

こういう時間の過ごし方が「贅沢だ」と思う一方で、私にはこういう贅沢が必要な人間だと確認した(ある種、「凡庸にはなりたくない」というような差別的な、選民的な確認なんだけど)(←ここまで自虐的でなくてもいいか)。私には次の日から仕事があった。私には休みが土日の二日しかない。なんならその二日のうちの何分の一か、仕事のことを考えないといけないくらいに私は不安症だ。本当はもうあと一日くらい週に休みがほしい。本を読む時間と、人に会う時間と、一人になる時間で…。私は高尚な人間になりたいと思っているので、本を読む時間が私に必要だと声高に言うのであるが、実は高尚な人間でもなんでもないので、「高尚な人間になりたいな」と思う時間でツイッターを見たりオモコロを読んだりしている。そしてそういう時間は、高尚な人間になるための時間より優先される。特に仕事をしていると。「遊び」が生きていく上には必要なんだけど(これはplayの意味じゃなくて、機械とかの接合のゆとりのことね)、そもそもの遊びを謳歌するためにはもっと雑多な、ゴミクソみたいな時間が必要なことには働き始めてから気がついた。

 じゃあ働かなきゃいいんじゃない?その選択肢はさいきんけっこう濃厚になりつつある、全く働きたくないわけじゃなくて自分のペースメーカーのためにも週に3, 4回くらいはしごとをしたいなと思う…、いまの仕事はとくに私の神経症を簡単に刺激するのも辛い。B&Bではこの本も読んだ。

なるべく働きたくない人のためのお金の話

なるべく働きたくない人のためのお金の話

 

 ざっと立ち読み(正確には座ってたけど)しただけだからあんまり内容は覚えてないんだけど、こういう、「必要最低限のものでゆたかに暮らす」って宣言には、こんまりよろしく、断捨離よろしく、ミニマリストよろしく、いつまでも憧れちゃうな、「やりたくないことを明確にしよう、そのリストは更新していこう」ってのは本当に真理だ…

(↑ちなみに本の内容はだいたいここに書いてある[気がする]。)

こういう生活も実践してみっか…と思う一方で、今月わたしは新しい靴を買ったしカバンも買ったし服も買った、「仕事からのストレスから解放されると欲も減ります、請求書のために働く人生、資本主義のハムスター乙。」という真言が気にかかると同時に、しかしそうやってお金を使って自らを更新していく気持ち良さを、私は知ってしまってもいる。

日曜日の夜は常に葛藤よのお。しかし葛藤のバリエーションにも限界があり、最近はもっぱら、働く・働かない問題、不安症問題および他人のフリした自分の内側の声に押しつぶされそう問題、そしてほんとに好きなことは何なんや?問題の三つくらいで、しかし三つは密接に絡み合い、私の人生を混乱させる。もやもやとした気持ちは誰かに話したくなるけれど話すような友人もおらずまた何を言われたって解決しないのだからこうやってブログに書き留めるのが正解なんだけど。かつて、「明日なに着て生きていく?」という広告コピーをアパレル会社が出したことがあったけど、その、「生きていく?」の問いかけの調子だけが頭のなかに響いて響いて、あー私は明日、どうしようかな、明日は月曜日なので私の運命は決まってるんだけど…、どこかで私がもうひとり、月曜日のB&Bに行ってまた本を積み重ねては読み、でも結局、紙面にその問いかけを見出しちゃって頭を抱えていて、それは私の未来のようで、過去のようで、逃れられない自分の本性なんだろうな、という諦念。

5月6月のネトフリ(+映画)

五月病とは無縁の日々を送る社会人生活、労働は絶えず、しかし特に自分が変わっているような感じもしない昨今、なぐさみはNetflixくらいしかなく、マイリストはどんどこ登録されてちゃんと見られた試しもない…。

ロブスター

カップルにならないと動物にさせられてしまうという世界で生きる主人公(Colin Farrellのブリーフ姿が眩しい)、偽カップルになったりバレたり、結婚相談所施設から逃亡したりそうこうしてホンモノの愛っぽいやつを見つけるが、しかし「愛」に対する強迫観念は徹底的に歪まされ、「おそろい」じゃなければ「愛」じゃないという呪縛は、結局最後まで二人の関係を殺すんでした、という話だった。

同様に「矯正」くくりで、Boy Erased(邦題:ある少年の告白)も見た。(これは映画)
アメリカで実際にあった同性愛矯正施設の話。残酷な盲目がとにかくきつい。親だって愛のつもりなんだろうがコミュニケーションを介さない愛は暴力に過ぎず、映画もなかなか解放なるシーンが訪れなかったけれど基づいたノンフィクションがそうであったように最後は父も息子の目を見たのがひたすらに安心した。こういう矯正施設はまだアメリカ中いくらでもあるらしく大活用されているらしく、レインボーフラッグと同性愛矯正施設が併存するアメリカの謎。

 

ウォールフラワー

そういえばこれにでてたEzra Millerはゲイの役で、差別され暴力沙汰になってしまった彼を主人公が助けるところから物語が再び動き出していた。まあ、それがメインの話ではなく、主人公(Logan Lerman)が愛されることだとか愛することを知る一連の青春、の話だったような気がする。Emma Watsonは相変わらず良くも悪くもエマ・ワトソンだが、彼女の鼻梁に宿る繊細さが青春のぎこちなさみたいなものを演出していてよかったような気がする。物語はわずかばかり好転し、一方でわずかばかり悪化していく、その流れがティーンエイジの時間を描き出していて心に残る一本だった。

www.netflix.com

 

Always Be My Maybe

ネトフリオリジナル。幼馴染の男女二人が恋に落ちたり落ちなかったりの話。Crazy Rich Asians再来?かと思いきやキアヌ・リーブスも出てくるしなんなんや?まあ話はベタな感じで、まあなんかそんな感じで、そんな感じ。

主演女優のAli WongってStand-up Comedyもやってるんだね。ググったら下のやつが見つかったんだけど、いきなり冒頭「私はAVを観るのが好きなんやけど私のオキニの検索ワードは『アジアン』と『スクール』で、『アジアン』で検索するのは私がアジア人だから。『スクール』で検索するのも、私がアジア人だから。」ではじまっておりジョーク効いてる。暇なときに聞いてみよっと。

www.youtube.com

 

To All the Boys I’ve Loved Before

これもアジア系の主演女優が登場するネトフリオリジナル映画。こっそり書きためてた五人の男へのラブレターが妹の策略により本人に届いてしまいトラブルが発生するわけだが、その五人の男のうちの一人のジョックが元カノとよりを戻すために仮初めのお付き合いをせえへんかと持ちかけるわけや。主人公もそれに乗るが、思いはいつしか本物のものへと変わっていき…って死ぬほどど定番の話。りぼんもちゃおももうそんな話書かへんわ。

www.netflix.com

しかしGame of Thronesの一連の感想を書いたときにも思ったけど、もしかして世界は「定番」を求めているのか?物語に関しては。ストーリーラインはあくまでも定番のものでよく、それよか人物描写やキャラクターデベロップメントを求めているんだろうか?...とまあこんな感じで、21世紀における物語描写の新しい潮流のかほりを嗅ぎ取りながら五月と六月も過ぎさりし。

3月4月のネトフリ

気合い入れたけどあんまり面白いものがなかったな。

CAM

www.netflix.com(これは作品の紹介ではないのですが)昔のセフレから突然連絡があって、「Cam girlに興味ないですか?やりませんか?」というメールが来た。ねえよ。やらねえよ。Cam girlというのはインターネット配信中のウェブカメラの前であんなことやらこんなことやらをするガールのことなんだけど、いや、もうおまえも私もそろそろガチのアラサーなんだけど。ま、その話はもろもろどうでもいいこととして、(ここからが作品の紹介なんだけど)CAMはカムガールとして働く女の子を描いた若干のホラー作品、カムガールのWebサイトでトップ50入りを目指す主人公のアカウントが突如として乗っ取られてしまう。乗っ取られた自分の配信映像を見てみるとそこにはなんと自分が映っており、その中の「自分」はより一層過激な映像を配信していく…というような話。現代っぽいしおもろいかなと思って見始めたけどただ映像が派手なエログロって感じで、オチもよくわからずうーん?と思っただけだった。

 

Silence

www.netflix.comこれもネトフリオリジナル映画。音を立てると謎の怪獣が襲ってくる世界でなんとか生き延びようとする父と家族…しかし突然あらわれる、自分の娘を攫おうとする宗教集団…家族は生き延びることができるのか……ってまたこのタイプの映画かい!音を立ててはいけないのは“Don’t breathe”で経験済み、急に世界が謎の生き物に襲われ同時にそれに便乗した謎の集団が出てくるってのは“Bird box”で履修済み。ビッグデータで分析しまあこれがおもろいやろ?!って魂胆なんだろけど、ネタ切れか?としか思えんのう。オマケなんだけど主人公がプラダを着た悪魔のスタイリスト役で出てくるNigel、なんか途中助けてくれるおじさんがSex and the Cityに出てくるCarrieの元彼(名前忘れた、第二弾の映画に出てくるほう)が出てくるのでなんかオシャレな感じするなあ〜!と思ったけど感じがするだけだった。

 

あとはワンパンマンとモブサイコ観た。どっちかってとモブサイコの話のがおもしろかったけどどっちもとにかくよく動いて見ていてめちゃめちゃ楽しかった。ワンパンマンのEDがあんなんなのはなんでなん?

モブサイコはおもろくてそのあと満喫で全巻読んだけど見事に話が王道で(主人公の開花→周りの人間のコンプレックス→強い敵→もっと強い敵→仲間の裏切り→本当に倒すべきだったのは自分)読んでて気持ちよかった。

これくらいか。まじで観てないな。ジョジョと新フルバは毎週楽しみにしてる。

82年生まれ、キム・ジヨン

「キム・ジヨン氏、三十三歳。三年前に結婚し、昨年、女の子を出産した。」(p6)という冒頭の一文で、悲しいくらい勝手にこのキム・ジヨン氏の有様を思い描いてしまうのは私が悪いのであり、歴史も悪いのであり、社会も悪いんだろうな。 

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

そのキム・ジヨン氏はある日突然、自分の母や友人が取り憑いたかのような振る舞いを見せる。明らかに精神疾患と認められるキム・ジヨン氏の初回診察のカルテとして、キム・ジヨン氏の誕生からこれまでが語られる小説である。

女の子ならいらない、と中絶を迫られたキム・ジヨン氏の母。女の子だから、部屋は姉と相部屋で、弟に丸々一室が与えられる。女の子だから、「好きな女の子にいじわるをしてしまう男の子」の気持ちは理解してやらなきゃいけない。女の子なのに、勉強をして何になる。女の子だから、就活で差別を受けて当然だ。女の子だから、結婚で早く辞めてしまうから、きつい仕事を与えても大丈夫だろう。女の子だから、結婚で早く辞めてしまうから、重要なポジションにはつかせない。女の子だから、セクハラや性犯罪にも耐え忍ばなければいけない。女の子だから、子どもを産むのは当然で、失うものがたくさんあるのも当然だ。
そういうことが徹底的に書かれ続けている。

キム・ジヨンが作中でぼこぼこにされる女性差別、女性蔑視は純度100%のそれで、そういう意味で私はここまで徹底的に差別や蔑視を受けることはなかったがそれ自体は私とキム・ジヨン氏を分断する重大なものでは全くなく、純度100%のそれだからこそ、それは普遍性を携え、私は実際に見たことはあるけれど忘れてしまった誰かの苦い経験をようやく生々しく思い出すのだった。

Tullyの映画を書いたときにも言ったけど、そして訳者あとがきにも書いてあったけど、私はこの本を男性にこそ読んでほしいなと思う。別に「女性差別を知らない男性」に「わかってくれ」とか「理解してくれ」とか頼んでいるわけではない。もうこの問題って、「彼女一人で解決できないことは明らか」(訳者あとがきp189)なもので、彼女一人で、とか、もっといえば女男の間で「起こった」「起こってない」「わかった」「わかってない」と言い合っても前進しようがない問題なんだよねえ。男性も、もちろんこの本を読んだことがない女性も、男でも女でもない人も、この本を読んでみてほしい。それで、「こんなこと経験したことある?」みたいな現場検証じゃなくって、こんな本が書かれるに至ってしまった背景を想像力を持って考えてみてほしい。そうして解いていく糸が、パンプスの問題とかレイプ判決の問題とか、わかりやすいほど醜く雁字搦めになった言説を一緒にほぐしてくれるのではないかと、ささやかに期待してしまうんだけど、ささやかすぎるんやろなあ…男女共同参画社会基本法の制定から今年で二十年ですね…。

というわけで結構精神をメタメタにやられてしまう小説で、あと「救われなさ」も壮絶なのでかなり苦しいというかほんとにトラウマある人は気をつけてほしいレベルなんだけど、それでも作中でメタメタにされながらも「いつか刺し返す!」と思って生きている女性の言葉は強い。まあたぶん上に書いた私の期待なんてささやか通り越してのーたりんなんだろうけど、こういう言葉がぱっと出てくる人間になりたいよね。


「こんなに怒っても娘が無反応なのを見ると、父は一言つけ加えた。
『おまえはこのままおとなしくうちにいて、嫁にでも行け』
 ところが、さっきあんなにひどいことを言われても何ともなかったのに、キム・ジヨン氏はこの一言で急に耐えられなくなってしまった。ごはんがまるで喉を通らない。スプーンを縦に握りしめてわなわなしながら呼吸を整えていると突然、がん、と固い石が割れるような音がした。母だった。母は顔を真っ赤にして、スプーンを食卓にたたきつけた。
 『いったい今が何時代だと思って、そんな腐りきったこと言ってんの? ジヨンはおとなしく、するな! 元気出せ! 騒げ! 出歩け! わかった?』」(本書p98、太字は私)