韓国映画『パラサイト』がおもしろかった話

新年一発目、年末から見たくてそわそわしていた『パラサイト』を特別上映で見に行ってきた。こういうとき、東京ってのはいいやねえ。と実家でゆるんだ頭の時差をかけ直す。

ネタバレ、しないでくださいね!とキャスト総出で念を押し押し。私も『鬼滅の刃』やら『約束のネバーランド』やらの話題作をジャンププラスで無料分だけ読んでは残りはwikipediaのあらすじを読んで満足する、という妙な性癖があるので口を酸っぱくしたくなる製作者の気持ちもわかる。クリエイティブにとっては嫌な時代になったね…肝心の本編だけど、めちゃめちゃパワーがあり、おもしろかった。「100%予測できない」という触れ込みだが、というよりも予測できてもとにかく面白い。当然と意外が観る者にはまっていくさまが気持ちいい。こういうテーマを取り上げているのは日本映画でも多いけれど、テーマを真正面に取り上げてそこにあらわれる「機微」なんかを浮かび上がらせようとするのではなく、テーマを取り上げながらもそこに芯の通ったストーリーを打ち立てる韓国映画、強すぎる。これは『新感染』でも思ったことだった。この作品もめちゃくちゃおもしろかったな。(奇妙な邦題にしてしまった文化的敗北が私の胸を刺す。。。)

『パラサイト』を見るにあたって、韓国文化が全然わかんなかったらどうしようと思ったけれど振り返れば隣人よろしく韓国作品はいろいろ読んでるもんだな。韓国の全体的な状況は 82年生まれ、キム・ジヨンで語られていたし、韓国の大学生たちが置かれたすさまじい状況はチーズインザトラップに描かれていたなあ。

チーズ・イン・ザ・トラップ(1)

チーズ・イン・ザ・トラップ(1)

  • 作者:soonkki
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/08/22
  • メディア: コミック
 

 はーしかしこの辺の話もだけど、やっぱ韓国カルチャーってパワーありまくりやわ。すごいわ。情緒とかしみったれたマイナーチェンジを「文化」と呼ぶのを一旦止めにして、マジモンの感情を新しく創り上げることを、世界全体が求めているんだろうな。とりあえず2020年もたくさん勉強し、たくさん書いていきたい。

そんなに真夏でもない夜の、かつてあった夢の吐露一本勝負

いっつも文章を書くときはなんかに焦ってて、まともに美麗な、美麗でなくてもうまく構成された文章にしたいのになって思うのに毎度殴り書きのような話になっちゃうな。

この前下北沢で遊ぶことがあって、遊ぶっつっても一人だったんだけど、大学生のとき下北沢にはちょいちょい来たことがあって、といってもビレバンで売ってる小説の主人公みたいに「下北沢は庭です」って言えるほど遊んでたわけじゃなく、西口と南口と北口のつながり具合だけを認識してるくらいなんだけど、久々にB&Bで遊んできた。

ここは皆さんご存知だと思うけど、ビールを飲みながら本を買える店ってことで、かなり書店内での行動が自由に(ビールも飲めるし、座って本も読めるし、なんと家具も買えてしまう)できるんだけど、行った日はたまたま音楽イベントをやっていて入場料を払うことになってたから、これで滞在費は払ったことでってことでビールも買わず自分の家かごとく、本を漁っては積み、読み、戻し、漁り、積み、戻しをひたすら繰り返した。(なんかマナー違反だったらごめん。)短歌とか、建築とか、お金の話の本とか、美術、あとはフェミニズム系が特集されていたのでそれも読んだ。こういう本の漁り方って、振り返ればかなり久々、それこそB&Bが開業して、一、二年はこうやって本に囲まれて過ごすのが好きだったんだけど、なんだか私もずいぶん変わったと自虐的に自省した、けど一方でむりやりこういう時間を過ごすことで、こういう時間を過ごせば私はいつだってこの時間に戻ってこられるのだと思った、贅沢な時間に浸かっていると金銭感覚もふやけてきてドサドサと本を買ってしまったわけだが…。

女性を弄ぶ博物学―リンネはなぜ乳房にこだわったのか?

女性を弄ぶ博物学―リンネはなぜ乳房にこだわったのか?

 

 (↑これ買った。博物学(分類学)がいかにジェンダーに規定されながら成立したかを論証する科学社会学あるあるな感じの話なんだけどそもそもまともに勉強していない人間は問題設定のあざやかさを好きになった)

こういう時間の過ごし方が「贅沢だ」と思う一方で、私にはこういう贅沢が必要な人間だと確認した(ある種、「凡庸にはなりたくない」というような差別的な、選民的な確認なんだけど)(←ここまで自虐的でなくてもいいか)。私には次の日から仕事があった。私には休みが土日の二日しかない。なんならその二日のうちの何分の一か、仕事のことを考えないといけないくらいに私は不安症だ。本当はもうあと一日くらい週に休みがほしい。本を読む時間と、人に会う時間と、一人になる時間で…。私は高尚な人間になりたいと思っているので、本を読む時間が私に必要だと声高に言うのであるが、実は高尚な人間でもなんでもないので、「高尚な人間になりたいな」と思う時間でツイッターを見たりオモコロを読んだりしている。そしてそういう時間は、高尚な人間になるための時間より優先される。特に仕事をしていると。「遊び」が生きていく上には必要なんだけど(これはplayの意味じゃなくて、機械とかの接合のゆとりのことね)、そもそもの遊びを謳歌するためにはもっと雑多な、ゴミクソみたいな時間が必要なことには働き始めてから気がついた。

 じゃあ働かなきゃいいんじゃない?その選択肢はさいきんけっこう濃厚になりつつある、全く働きたくないわけじゃなくて自分のペースメーカーのためにも週に3, 4回くらいはしごとをしたいなと思う…、いまの仕事はとくに私の神経症を簡単に刺激するのも辛い。B&Bではこの本も読んだ。

なるべく働きたくない人のためのお金の話

なるべく働きたくない人のためのお金の話

 

 ざっと立ち読み(正確には座ってたけど)しただけだからあんまり内容は覚えてないんだけど、こういう、「必要最低限のものでゆたかに暮らす」って宣言には、こんまりよろしく、断捨離よろしく、ミニマリストよろしく、いつまでも憧れちゃうな、「やりたくないことを明確にしよう、そのリストは更新していこう」ってのは本当に真理だ…

(↑ちなみに本の内容はだいたいここに書いてある[気がする]。)

こういう生活も実践してみっか…と思う一方で、今月わたしは新しい靴を買ったしカバンも買ったし服も買った、「仕事からのストレスから解放されると欲も減ります、請求書のために働く人生、資本主義のハムスター乙。」という真言が気にかかると同時に、しかしそうやってお金を使って自らを更新していく気持ち良さを、私は知ってしまってもいる。

日曜日の夜は常に葛藤よのお。しかし葛藤のバリエーションにも限界があり、最近はもっぱら、働く・働かない問題、不安症問題および他人のフリした自分の内側の声に押しつぶされそう問題、そしてほんとに好きなことは何なんや?問題の三つくらいで、しかし三つは密接に絡み合い、私の人生を混乱させる。もやもやとした気持ちは誰かに話したくなるけれど話すような友人もおらずまた何を言われたって解決しないのだからこうやってブログに書き留めるのが正解なんだけど。かつて、「明日なに着て生きていく?」という広告コピーをアパレル会社が出したことがあったけど、その、「生きていく?」の問いかけの調子だけが頭のなかに響いて響いて、あー私は明日、どうしようかな、明日は月曜日なので私の運命は決まってるんだけど…、どこかで私がもうひとり、月曜日のB&Bに行ってまた本を積み重ねては読み、でも結局、紙面にその問いかけを見出しちゃって頭を抱えていて、それは私の未来のようで、過去のようで、逃れられない自分の本性なんだろうな、という諦念。

5月6月のネトフリ(+映画)

五月病とは無縁の日々を送る社会人生活、労働は絶えず、しかし特に自分が変わっているような感じもしない昨今、なぐさみはNetflixくらいしかなく、マイリストはどんどこ登録されてちゃんと見られた試しもない…。

ロブスター

カップルにならないと動物にさせられてしまうという世界で生きる主人公(Colin Farrellのブリーフ姿が眩しい)、偽カップルになったりバレたり、結婚相談所施設から逃亡したりそうこうしてホンモノの愛っぽいやつを見つけるが、しかし「愛」に対する強迫観念は徹底的に歪まされ、「おそろい」じゃなければ「愛」じゃないという呪縛は、結局最後まで二人の関係を殺すんでした、という話だった。

同様に「矯正」くくりで、Boy Erased(邦題:ある少年の告白)も見た。(これは映画)
アメリカで実際にあった同性愛矯正施設の話。残酷な盲目がとにかくきつい。親だって愛のつもりなんだろうがコミュニケーションを介さない愛は暴力に過ぎず、映画もなかなか解放なるシーンが訪れなかったけれど基づいたノンフィクションがそうであったように最後は父も息子の目を見たのがひたすらに安心した。こういう矯正施設はまだアメリカ中いくらでもあるらしく大活用されているらしく、レインボーフラッグと同性愛矯正施設が併存するアメリカの謎。

 

ウォールフラワー

そういえばこれにでてたEzra Millerはゲイの役で、差別され暴力沙汰になってしまった彼を主人公が助けるところから物語が再び動き出していた。まあ、それがメインの話ではなく、主人公(Logan Lerman)が愛されることだとか愛することを知る一連の青春、の話だったような気がする。Emma Watsonは相変わらず良くも悪くもエマ・ワトソンだが、彼女の鼻梁に宿る繊細さが青春のぎこちなさみたいなものを演出していてよかったような気がする。物語はわずかばかり好転し、一方でわずかばかり悪化していく、その流れがティーンエイジの時間を描き出していて心に残る一本だった。

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Always Be My Maybe

ネトフリオリジナル。幼馴染の男女二人が恋に落ちたり落ちなかったりの話。Crazy Rich Asians再来?かと思いきやキアヌ・リーブスも出てくるしなんなんや?まあ話はベタな感じで、まあなんかそんな感じで、そんな感じ。

主演女優のAli WongってStand-up Comedyもやってるんだね。ググったら下のやつが見つかったんだけど、いきなり冒頭「私はAVを観るのが好きなんやけど私のオキニの検索ワードは『アジアン』と『スクール』で、『アジアン』で検索するのは私がアジア人だから。『スクール』で検索するのも、私がアジア人だから。」ではじまっておりジョーク効いてる。暇なときに聞いてみよっと。

www.youtube.com

 

To All the Boys I’ve Loved Before

これもアジア系の主演女優が登場するネトフリオリジナル映画。こっそり書きためてた五人の男へのラブレターが妹の策略により本人に届いてしまいトラブルが発生するわけだが、その五人の男のうちの一人のジョックが元カノとよりを戻すために仮初めのお付き合いをせえへんかと持ちかけるわけや。主人公もそれに乗るが、思いはいつしか本物のものへと変わっていき…って死ぬほどど定番の話。りぼんもちゃおももうそんな話書かへんわ。

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しかしGame of Thronesの一連の感想を書いたときにも思ったけど、もしかして世界は「定番」を求めているのか?物語に関しては。ストーリーラインはあくまでも定番のものでよく、それよか人物描写やキャラクターデベロップメントを求めているんだろうか?...とまあこんな感じで、21世紀における物語描写の新しい潮流のかほりを嗅ぎ取りながら五月と六月も過ぎさりし。

3月4月のネトフリ

気合い入れたけどあんまり面白いものがなかったな。

CAM

www.netflix.com(これは作品の紹介ではないのですが)昔のセフレから突然連絡があって、「Cam girlに興味ないですか?やりませんか?」というメールが来た。ねえよ。やらねえよ。Cam girlというのはインターネット配信中のウェブカメラの前であんなことやらこんなことやらをするガールのことなんだけど、いや、もうおまえも私もそろそろガチのアラサーなんだけど。ま、その話はもろもろどうでもいいこととして、(ここからが作品の紹介なんだけど)CAMはカムガールとして働く女の子を描いた若干のホラー作品、カムガールのWebサイトでトップ50入りを目指す主人公のアカウントが突如として乗っ取られてしまう。乗っ取られた自分の配信映像を見てみるとそこにはなんと自分が映っており、その中の「自分」はより一層過激な映像を配信していく…というような話。現代っぽいしおもろいかなと思って見始めたけどただ映像が派手なエログロって感じで、オチもよくわからずうーん?と思っただけだった。

 

Silence

www.netflix.comこれもネトフリオリジナル映画。音を立てると謎の怪獣が襲ってくる世界でなんとか生き延びようとする父と家族…しかし突然あらわれる、自分の娘を攫おうとする宗教集団…家族は生き延びることができるのか……ってまたこのタイプの映画かい!音を立ててはいけないのは“Don’t breathe”で経験済み、急に世界が謎の生き物に襲われ同時にそれに便乗した謎の集団が出てくるってのは“Bird box”で履修済み。ビッグデータで分析しまあこれがおもろいやろ?!って魂胆なんだろけど、ネタ切れか?としか思えんのう。オマケなんだけど主人公がプラダを着た悪魔のスタイリスト役で出てくるNigel、なんか途中助けてくれるおじさんがSex and the Cityに出てくるCarrieの元彼(名前忘れた、第二弾の映画に出てくるほう)が出てくるのでなんかオシャレな感じするなあ〜!と思ったけど感じがするだけだった。

 

あとはワンパンマンとモブサイコ観た。どっちかってとモブサイコの話のがおもしろかったけどどっちもとにかくよく動いて見ていてめちゃめちゃ楽しかった。ワンパンマンのEDがあんなんなのはなんでなん?

モブサイコはおもろくてそのあと満喫で全巻読んだけど見事に話が王道で(主人公の開花→周りの人間のコンプレックス→強い敵→もっと強い敵→仲間の裏切り→本当に倒すべきだったのは自分)読んでて気持ちよかった。

これくらいか。まじで観てないな。ジョジョと新フルバは毎週楽しみにしてる。

82年生まれ、キム・ジヨン

「キム・ジヨン氏、三十三歳。三年前に結婚し、昨年、女の子を出産した。」(p6)という冒頭の一文で、悲しいくらい勝手にこのキム・ジヨン氏の有様を思い描いてしまうのは私が悪いのであり、歴史も悪いのであり、社会も悪いんだろうな。 

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

そのキム・ジヨン氏はある日突然、自分の母や友人が取り憑いたかのような振る舞いを見せる。明らかに精神疾患と認められるキム・ジヨン氏の初回診察のカルテとして、キム・ジヨン氏の誕生からこれまでが語られる小説である。

女の子ならいらない、と中絶を迫られたキム・ジヨン氏の母。女の子だから、部屋は姉と相部屋で、弟に丸々一室が与えられる。女の子だから、「好きな女の子にいじわるをしてしまう男の子」の気持ちは理解してやらなきゃいけない。女の子なのに、勉強をして何になる。女の子だから、就活で差別を受けて当然だ。女の子だから、結婚で早く辞めてしまうから、きつい仕事を与えても大丈夫だろう。女の子だから、結婚で早く辞めてしまうから、重要なポジションにはつかせない。女の子だから、セクハラや性犯罪にも耐え忍ばなければいけない。女の子だから、子どもを産むのは当然で、失うものがたくさんあるのも当然だ。
そういうことが徹底的に書かれ続けている。

キム・ジヨンが作中でぼこぼこにされる女性差別、女性蔑視は純度100%のそれで、そういう意味で私はここまで徹底的に差別や蔑視を受けることはなかったがそれ自体は私とキム・ジヨン氏を分断する重大なものでは全くなく、純度100%のそれだからこそ、それは普遍性を携え、私は実際に見たことはあるけれど忘れてしまった誰かの苦い経験をようやく生々しく思い出すのだった。

Tullyの映画を書いたときにも言ったけど、そして訳者あとがきにも書いてあったけど、私はこの本を男性にこそ読んでほしいなと思う。別に「女性差別を知らない男性」に「わかってくれ」とか「理解してくれ」とか頼んでいるわけではない。もうこの問題って、「彼女一人で解決できないことは明らか」(訳者あとがきp189)なもので、彼女一人で、とか、もっといえば女男の間で「起こった」「起こってない」「わかった」「わかってない」と言い合っても前進しようがない問題なんだよねえ。男性も、もちろんこの本を読んだことがない女性も、男でも女でもない人も、この本を読んでみてほしい。それで、「こんなこと経験したことある?」みたいな現場検証じゃなくって、こんな本が書かれるに至ってしまった背景を想像力を持って考えてみてほしい。そうして解いていく糸が、パンプスの問題とかレイプ判決の問題とか、わかりやすいほど醜く雁字搦めになった言説を一緒にほぐしてくれるのではないかと、ささやかに期待してしまうんだけど、ささやかすぎるんやろなあ…男女共同参画社会基本法の制定から今年で二十年ですね…。

というわけで結構精神をメタメタにやられてしまう小説で、あと「救われなさ」も壮絶なのでかなり苦しいというかほんとにトラウマある人は気をつけてほしいレベルなんだけど、それでも作中でメタメタにされながらも「いつか刺し返す!」と思って生きている女性の言葉は強い。まあたぶん上に書いた私の期待なんてささやか通り越してのーたりんなんだろうけど、こういう言葉がぱっと出てくる人間になりたいよね。


「こんなに怒っても娘が無反応なのを見ると、父は一言つけ加えた。
『おまえはこのままおとなしくうちにいて、嫁にでも行け』
 ところが、さっきあんなにひどいことを言われても何ともなかったのに、キム・ジヨン氏はこの一言で急に耐えられなくなってしまった。ごはんがまるで喉を通らない。スプーンを縦に握りしめてわなわなしながら呼吸を整えていると突然、がん、と固い石が割れるような音がした。母だった。母は顔を真っ赤にして、スプーンを食卓にたたきつけた。
 『いったい今が何時代だと思って、そんな腐りきったこと言ってんの? ジヨンはおとなしく、するな! 元気出せ! 騒げ! 出歩け! わかった?』」(本書p98、太字は私)

 

ネトフリおすすめ(2月)

ブログを毎週書こうと決めていたのに案の定書ききれていないので、すぐ書けそうなものから書く。私もよく「ネトフリ おすすめ」でググって限りある人生を無駄遣いしようと必死になるため、同じくそのように死に急いでいない皆様に最近見たネトフリ3つについてお伝えする。

Isn’t it Romantic?

www.netflix.com

最近やたらレコメンドされるので見た。ラブコメ嫌いな主人公がラブコメの世界に飛ばされて…というまあよくあるアレ。まあ展開もオチもよくあるアレだしアレなんだけど、まあここまでちゃんと筋書き通りにやりきってくれるとそれはそれでニッコリする。Rebel Wilsonの演技もいい。横で流しながら作業やって、たまにニッコリしながら見るのに最適。ちなみに「ラブコメだけどラブコメじゃない!」って巷では宣伝されてるけど普通にラブコメです。

Blue Jasmine

www.netflix.comネトフリというか普通に映画なんですけど、ずーっとマイリストに入れてはいたんだけどやっぱり映画って長いからいつまで経っても再生に踏み切ることができず、積もり積もるマイリスト。というかマイリストって、マイリストに入れると再生しないってあるあるだよねえ。で、思い切って見た本作なわけですが、な…なにこれ…こんな…こんな世界、知らなくたっていいじゃないですか…ってめちゃくちゃにダメージを受ける。もうとにかく、Cate Branchetが最高すぎる。私は、てかまあ全人類はCate Branchetのこと、どこかで小さい頃にすでに見ていると思うし私もそうなんだけど、真剣に見たのは『Carol』 のときで、彼女の、繊細な震えまでが伝わる演技に本当に惚れ惚れしたのだった。だからこそ、彼女が演じる、本作での破滅的な主人公(名前忘れた)の姿が演技力余って痛さ百倍!!!いや音楽の感じから、きっとこれは滑稽話なんだろう。ゲラゲラ笑って見るべき映画という。というかそうやって捉えない限りとにかく見る者の精神がやられ続ける。全人類状況は違えど、人生のどこか、心のどこかで「こんなはずじゃない」って思う時ってきっとあるわけで…。そういう気持ちを抱えている人間がこの作品を見ると死にます。Cate Branchetの怪演がトラウマのように人生に残りそう。

Sex Education

www.netflix.comこの作品をおすすめしたいがために、この記事を書いたと言っても過言ではない。いやっめちゃくちゃオススメの青春ストーリーですね…。主人公は母親がセックスセラピストをしている男子高校生。この男子高校生が学校1のヤリマンと組んで、同級生たちの性にまつわる相談にのっていく、つまりSex Educationをしていく、という話。
とにかくエモいのだ!エモポイントその1は、大人の荒んだ心に、「ああやっぱりセックスは1にも100にもコミュニケーションですなあ」ということを再度あたたかく知らせてくれる。いやでもセックスがコミュニケーションでもないときも、あるんだけど、いやコミュニケーションだったらいいな、とやっぱり思うのが大人っていうか、もしかしたら、女っていうか…。
エモポイントその2はキャラクター描写がけっこう丁寧。特に学校1のヤリマンちゃんである女子生徒のキャラクターの作り込みがよい。主人公と彼女との関係や、彼女とその恋人との描き方が細やかで、くう、と口から漏れるほどに切ないこともある。こんなことを書くのはちょっと文才がないようで恥ずかしいが、誰かと向き合い、話し合い、わかりあっていく、性行為とも重なるかもしれないその恥ずかしい過程が、高校生の青春物語であることやSex Educationの一つの流れのうちに設定されていることで、その恥ずかしさをうまく包み隠していると思う。とにかく、見てほしい!なんというかすなおに、「物語」っていいな、と思える作品だから。

社畜永遠の問い、「人が良かったら働き続けられるか」

もうこれも随分前の話になってしまったけど、大手広告代理店での労働のあり方に苦しみ、身を投げた女性は私と大学入学年度が一緒だった。こんな冒頭ではあるけれど「数奇な運命」なんていうつもりは毛頭なく、彼女と同じ時間を過ごしてきた私と彼女の、薄いけれど確実な隔たりを思う。
女性・高学歴・東京・就職、と、いくつかの共通項を持つ私が家族と彼女について話すのは自然なことで、「死ぬまでやらなくていい」と父親、「大変だったんだろうねえ、酷いねえ」と母親。「原因は長時間労働だけじゃなかったと思うんだよね。周りの人がさ、パワハラとか、そういうの、しない人だったらきっと頑張ろうと思えたんだと思うよ…」と私。その頃私はまだ就職前だった。
この、「人がよかったら頑張れるか?」という、ういういしい問いに一年働いてから答えをいえば、ノーだった。ある意味、成長経済から成熟経済への移行期だからこそ(労働に、労働そのものの価値というよりは、そこでの成長や環境に意義を見出そうとする時代だからこそ)発せられる問いであるだけだ。
人がよくても、やっぱり長時間労働に耐えられなかったなと思い返す。「人の良さ」というか、「人のまっとうさ」はあくまでも最低条件だった。人のまっとうさというやつは実際働いてみるとあまりにもありがたいので勘違いさせられそうになるけど、「人が良い」というか、お互いに仕事内容だけでなく人格や人生を尊重し合うというのは、組織として当然の条件であるべきだと社会人1歳の赤ちゃんわたくしは思うわけなんだけど…(なぜここをありがたいものだと思ってしまう?大人はなぜあんなに性格が悪いの)。
人のまっとうさはあくまでも最低条件なのである。あって当たり前。だからこそ、残念ながら「人の良さ」に長時間労働における唯一の救いを求めても、「人の良さ」なんてものは簡単に評価がゆらぐことに気をつけたほうがよい。
具体的に私の場合、私は勤務時間こそ最悪だったけどチームメンバーはわりあいいい人たちだった。チームメンバーは全員長時間労働してたわけだけど、体調が悪ければ「早めに帰りましょう」と押してくれたし、思い切って早めに帰るといえば「いいじゃん!」と歓迎してくれるチームだった。こう思い返すとめっちゃいい人たちだったな本当に…と思う一方で、ちょっとしたミスをしたときに(互いにそこまで互いを配慮する余裕がなく)「そんなミスありえないでしょ」と言い放たれればやはりそういうあたたかい気持ちみたいなのは急速に冷え込んでいくわけで、そうなると被害者意識がメラメラと湧きあがり「私はこの人たちのために仕事やってたかもしれないのに、まあ、扱いはこんなもんかあ」などといじけてみたくもなる。
考えてみれば、人からの人の評価なんて簡単に変わると思う。とりわけ、私みたいな一年目ぺーぺーのなんの能力もない人間なんて毎日の周りの人からの「ほめことば」くらいしか評価がないわけだし。それは根本的な自分の能力や個性に起因しておらず、ほめことばの内容は日ごとに変わる。毎日続くであろう労働の根拠を毎日変わるものに依拠させるのはやはりどうしたってもろい。「人の良さ」だけを働き続ける理由にするというのはそういうことなのだ。私はあのときボスに「ありえないでしょ」と言われたときに、私はそういう、日ごとに変わるものに自分の毎日の生きている意味(大袈裟でださいけどでも本当にそうだ)を求めていたのだと気づいて自分の浅はかさと、そうでもないと頑張れなかった自分の状態に驚いたのだった。

 

蟹工船・党生活者 (角川文庫)

蟹工船・党生活者 (角川文庫)