アナルセックス、したことありますか

 自分のブログをチェックしてたらさいきんの投稿がやけにエモーショナルで、なんかこんな元気じゃないのは私らしくないよね!ってことで自分の体験を切り売りしちゃう感じのエントリーでも書いちゃおうかな!というわけでアナルセックスの話をしようと思います。唐突すぎてエ?感あるけれどもアナルセックスってこれからトライしようとする人にもリアルな描写を求めてる腐女子のみなさんにとっても意外とレビューが届きにくいものだと思うんよ(そうなの?)。いつもみたいな考えや悩み事をこねくり回したものよりというよりもハウツーみたいな記事になるからね あたりまえなんだけどアナルセックスに思想なんてあるわけないし…。

 

実際のところ、どうなん?

 アナルセックスって言ったら最近だとフロイト先生が発達段階の一つとして「肛門愛期」なんていうものを設定したおかげで性欲真っ盛りの高校生を倫理の授業で爆発させ、もっと古くにさかのぼれば古代ギリシアの愛情表現として、もしくは日本歌舞伎のういういしくなまっちょろい男児たちの芸術・性表現として変わらず勉学に励む中高生の心を惑わせている。

 こんな感じでアナルセックスは意外とその存在自体は義務教育を通して私たちの頭の深いところにしみこんでいるわけだけれどもそれを実際にやるかっていったらそうじゃない。LGBTQを堂々と表明・議論できる時代になって加えてセクシュアリティなんかも生得的に白黒はっきりつけられるもんというよりも人生をかけた濃淡の問題であることなんかが知られております昨今ですけれどもやはり大多数は女性器と男性器のこすりあいを求めそれで成り立っているのであった。

 私はいまさらなんですけれども性別は女性で基本的にはヘテロセクシュアルなのでそういう意味で肛門性交は必要としない。よってすることになるんだったら完璧な趣味なわけである。そういう意味でこのエントリーを書くのでいままでいろいろ書いてきたけれどもシリアスなことは1mmもないので許してくれよな。

 

 さて本題に入っていくわけだけれども肛門性交、実際にどんなもんなんかっていうのを私個人の経験からだけでお伝えしていくのがこの記事の本題なわけなんだけれどもまず肛門性交のイメージから整理すると以下の三つの観点から語ることになりますな。

①痛いのか痛くないのか

②汚いのか汚くないのか

③実際のところ気持ちいいのか、気持ちよくないのか

という話でしょうかね コンサル的には0点のMECEな気がしますが私がトライしたときに気になったのはこの辺だったと思います さてさっそく実際に経験を織り交ぜながら書いてついでに対処法なんかも述べますのでみなさんの可能性の素敵な拡張(ダブルミーニングです)、もしくはみなさんのBL小説の糧にでもしてくれよな!

 

①痛いのか痛くないのか

答え:(やるべき過程をすっ飛ばすと)痛い、(男性器が大きいと)痛い、(痔持ちだと)痛い。

 よく出産の痛みは鼻からスイカだすとかたとえられるわけですけれども、同様に鼻のような大きさの肛門に男性器を突っ込むのはやっぱり痛いんじゃないか?と思うわけですよね しかしBLの世界なんかでは処女の受けであってもすんなり入る上に快楽なんかもあっさり得ているようで自分の想像力とBLの想像力とどっちが正しいのか揺れ動く乙女心。

 やった身からするとやっぱりね、やっぱり痛い!男性器をケツに突っ込むのは痛いよ!特に過程をすっ飛ばすと辛い。過程というのはいわゆる「慣らし」だとか「拡張」とかいうやつ。ローションしっかり使って、アナルプラグなんかでアナル及び身体の緊張をとらないでレッツゴーするとマジで痛いし痛いというか普通に出血する。出血とか言っても要するにただの切れ痔ですからね。逆方向だけど。私はアナルバージンをささげた相手が「肛門性交はローションを使わないのが究極にして至高」という倫理観とち狂いまくり人の道外れまくりの人間だったのでそういうことになっちゃった。だからローション使ってればはじめてでも痛くないのか?っていうところは断言できないけれどもそれ以降の痛みはローション使うとちょっとマシになった…ちなみにローションなんですけど膣性交用のだと粘りが足りなくて普通に痛むので、肛門性交用のがいいですよ。

 (アダルト商品のせいかはてな経由でアフィが貼れなかった。)

 というわけで私ははじめてが痛かっただけにかなりトラウマを植え付けられたわけですが、それから一切ほかの人とトライしなかったわけでもなくて、三種類くらいの男性器で試したわけなんですけれども二つ目の結論から言うと男性器が小さいと痛くない!これはまじです。前述の男はアナルセックス好きのフランス人だったんだけど、男性器がエッフェル塔くらいあったからね。しかし別の機会でスモールさんとおこなったときは上述のような慣らしも拡張もさほどしなかったんですが入る入る。動かれても痛くない。スモールさんと膣性交をしたときは相手がスモールすぎてなんつうか私のガバいマンちゃんで申し訳ないなと思いはしたいんだけれども肛門さんにバトンタッチすればこちらはそんなに痛くないしおそらくマンちゃんよりは締まっているだろうしでお互いハッピーだなと思えたのだった。まあ、スモールさんとは一回っきりでもう会ってませんけど。

 

 というわけでまあつまるところどんだけ男性器がスムーズに入るかが問題っちゅうわけなんですな。男性器が大きいんならそれなりに拡張をしっかりやるべきだしそうでもないならそれほど痛みはない。しかしまあ問題は受け手の問題よね!私はなんと痔持ちでなんと手術経験済の「マ痔(マジ)」だったのでどうしたってなんつうか内側が、痛むんだよね…。これはほんとどうしたってしょうがないしどうしたって痛いんだと思う…。痔持ちでアナルセックスに挑戦とかどんだけエクストリームよって思う人も多いんだろうけどやっぱり好奇心は猫もアナルも殺すんだよね。たぶんあんまやんないほうがいいよ。あとこれ読んでる人でちょっとでも痔のケがある人はね、痔は自然治癒しないから恥ずかしくても早めに医者行っといたほうがいいよ。

 

②汚いのか汚くないのか

答え:思うほど汚くはないが、汚れないわけではない。

 なんとここまでで2000字突破している!まあそれはさて置いちゃって、実際にトライしようとする人にとって一番気になるのはこの点だと思われる。痛みなんかは自分が我慢すればいいけどさ、汚さを相手に見られてなんかしらのなんかしらが崩れちゃったらどうしようかと、不安に思わないわけないもんね。肛門、何を隠そう、みなさんが毎朝そこから便を捻出しているあの肛門ですよ。に指を入れたり男性器を突っ込んだりするのは汚くないんだろうか…?という不安ね。

 私は前述の倫理観アウトマンの性癖が「汚いセックスが好き、むしろ付いてくるくらいでも構わない」という、マザーテレサもちょっと引くレベルの人間愛を兼ね備えていたのでそれほど気にして準備をしたわけではなかった。でも一応「アナルセックス 準備」とかで調べるとゲイ向けのサイトなんかでは「浣腸は必須!ちんぽにウンコついて出てくるほど萎えるものはない!」って力説されてるわけなんだよね。でもさあ浣腸だるいじゃないですか、調べれば調べるほど、「やればやるほど出てくる」みたいな話がさあ……。

 しかし実際に浣腸をしなかったらちんぽにウンコがつくかっていうと、これもまた私の個人の経験でしかないけれどもそんなにべっとりついてくるということはない。詳しくはググってほしいんだけれども、人間の肛門は基本的に出口付近に大便が詰まっているということはない。でもトイレではすっと出てくるやんけ!と思うと思うけれども、その便意こそが、「入口付近にうんちが降りてきてまっせ~」という合図なのだ。便意がなければそこにはない。逆にいえば便意がなんとなくでもあるときには要注意ということなんである。浣腸まではちょっと…という方もとりあえずしっかり生活習慣整えて当日はキッチリ排便をキメる、ということができれば大丈夫なんじゃないかな?

 といっても、汚れないわけではない。やっぱね、突っ込むからね。そりゃね、奥のほうにはあるわけだからね。べっとりついてくるわけじゃないが、ベッドに敷いていたタオルなんかに「…オッ」と思う色の汚れがついていたりなんかする。それは避けらんねえ!まあだからそういうのはイヤ!!!と思うんだったらやっぱり浣腸をなんとかして二人で頑張るしかないし、まあそういうのは許容できるけれども雰囲気がなあというんだったら使うタオルをすべてウンコ色とかに変えてみよう!

 で、すごく汚いわけじゃないって話をしてきたわけだけれどもやっぱりそれでもコンドームはつけようね!アナルの性病は特濃だから、妊娠しないから~って調子に乗らずに1mmでも10mmでもなんぼでも、しっかり避妊具はつけようね!

 

③気持ちいいのか気持ちよくないのか

答え:すごい気持ちいいというわけではないが、人類がそれを求めてきた気持ちはわかる。

 痛みや汚さも乗り越えた人類が(膣性交ではなく)肛門性交に求めるのは究極的な快楽である。快楽がなかったら痛みも汚さも意味ないもんな。

 で、風で聞いた噂なんやけれども男性には前立腺というものがなんというか肛門からちょっと入ったところにあるらしくてなんか風で聞いた噂なんやけれどもそれを男性器で刺激されることで激烈な気持ちよさをもたらす…みたいなそういう話がね、あるらしいんですけれどもね、正直私ら女にとってはなんもわからんわけでこの辺に関しては男性が書いているブログを参照にしてみてください。ついでに引き続き男性のいれる側からしたらどうなん?という点についてはこれは私の体験ではないけれども前述の倫理観アウトマンがあまりにもアナルセックスが好きなので理由を聞いてみたら、「膣性交は途中で男性器が子宮口に当たって止まってしまうけど、肛門はそういうこと無いから奥まで入って気持ちがよい」ということだった。やっぱり巨根は悩みも解決策もビッグサイズ、膣に入らなければアナルに入れればいいじゃないってどこまでおフランスつきぬけてますのん。余談だがフランス人はアナルセックス好きな人がとりわけ多かったような気がする…さておき、男性側はいろいろ両側面からメリットがあるようなんですけれども、そういうのが無い女からしたらアナルセックスってどうなんよ?という話。

 結論からいうとすごい気持ちいい…というわけではなかったんですよね私にとっては。肛門付近で男性器を出し入れされるのはどっちかっていうと違和感の出し入れで、それに前述した痛みであったりとか、「いまここで動いてるのは男性器ではなくウンコなんとちゃうか?」っていう不安であったりとかでなかなかリラックスできねえ。おまけに前立腺とやらもないので、まあどうしても、アナルセックスサイコー!という気持ちにはなれなかった。

 でもなんというか、かけらはわかった。つまり、人類がはるかはるかはるか昔から古今東西手を変え品を変えそれを求めてきた理由みたいなもんはうすぼんやりわかった。フロイトが肛門愛期なんちゅう衝撃的な区分を発表したことは冒頭に書いたけれども、やはり肛門付近というのは一種の快楽が生まれる場でもある。毎朝排便を出してなんとなくうれしいのは、排泄のすっきり感だけではなくそれと分かちがたく結びつきながらも独立した肛門の快楽があるからだと思う。男性器が肛門を出入りすることでそれを断続的にそこに感じ、ああ、なんというか、人間の身体だなあと私は思った。

 たぶん訓練次第で女性でも快楽を得るようになれるという予感はあったけれども、私はまあ、痔持ちだからね、そこまでのチャレンジ精神はないけれども健康で健全な肛門を有する方々、ぜひ挑戦してみてくださいね。ちゃんちゃん。

グレイテストショーマンは全然グレイトではない。

ああーーまたつまんない映画を観ちゃった。と思ったら脚本ビルコンドン。ビルコンドンといえば美女と野獣(2017)、ドリームガールズ(2006)、私はどちらも苦手な映画だったのでどんだけ相性悪いのよっていう。でもさあ、この映画でどれほどの人間が、「人生いいなあ!」って思うわけよ?「何事もほどほどがいい」だなんて話を観させられて何がおもしろいんだっつうの。うるせえ!そこで一生はいつくばってな!あとさあなんか「多様性を描いた」みたいな評もあるらしいけど、それはもうすでに美女と野獣で大失敗してたじゃん…。

そもそも、「何事もほどほど略」を描く過程にしたって雑雑雑。飛び交う伏線と視線は全部無意味。おっさんたちの独白と感情が先行しまくってドン引き。ゆっとくけどクソCGダサすぎ!音楽もワンパターンで退屈。あのねえ愛にしたって神にしたって細部に宿るのよ。細部を欠いた映画なんてクソを拭く紙にもなりはしねえわ。

ていうかなんというか「ディズニーでやれ」って感じが半端ない、表面だけがきれいなおはなし。というかディズニーでも最近はもうちょっとエグい描写するよね。『ズートピア』とかさ。『アナと雪の女王』も、もうそういうきれいなストーリーラインじゃ人の心は動かないんだ!って主張せんばかりの結末だったではないか。表面を一歩超えたところにこそ、ようやく映画と観客の人生との接点が発生しうるのに。

いろいろ映画評を見ていると、この映画と、もととなった史実とは離れている部分も多いらしく、例えばバーナムはサーカスを始めるために奇人(freaks)を集めたわけだけれどそこではけっこうエグいことをやっていたであったとか、一方で禁酒法の呼びかけに携わったとか、そういう部分もある人間だったらしい。書けばおそらくこの映画全体のハピネスな感じは消え失せるだろう。だけれどもまさに虚飾にまみれた都合のよいハピネスを見て、一体どれほどの人間が幸せになりたいだなんて思うんだろうか。エグさとかキツさ、汚れ、もしくは彼の善行などときちんと向き合い描き切ってこそ神は宿り愛は生まれるのではなかろうか。歌と踊りの勢いで動かせるほど、人間の心はもうすでに単純ではないよ…。

まあ人によるとは思うけどこれをデートで見させられてこの映画が終わったあとに「ホテルセンチュリーサザンタワーが予約してあるんだけど(新宿ピカデリーで見たという設定)、まずはそこのバーで一杯どう?」とか言われても速攻で断るな。バーロォ、細部だ細部!細部にこだわんなきゃだめなの!そんなありきたりなデートラインじゃもう私の心は満たされないんだって。あの手この手でリアルを作り上げた上で、そうして私の緻密な愛情を探り当てて頂戴。という話。

勝手にふるえさせてほしい、勝手にふるえてろ

主演の松岡茉優さんとやらの演技がよいと聞いていて、わたくしわりと実は綿矢りさが好きなので観に行った! つっても綿矢りさの熱心な読者というわけではなく、読んだことがあるのは『インストール』『蹴りたい背中』『亜美ちゃんは美人』『かわいそうだね?』くらい。あと昔新潮?すばるかもしんない、に載ってた三姉妹がどうこうとかの話も読んだかな、タイトル忘れちゃったけど。

私が綿矢りさがわりと好きなのは、人生における“ぎこちなさ”みたいなものを鋭く描いていると思うからだ。主人公だとか対象になる人はどこか人生とか生活に対して斜に構えている人で、そういう人とナナメの人もしくはまっすぐな人がこすり合って生まれてしまうぎこちなさ。思惑と感受が見事なまでにかみ合わなくって、でも赤面してるのは読者だけっつう、その絶妙な置いてけぼり感を好んでいる。

『勝手にふるえてろ』に関しては私は原作を読んだことがなくて、まああらすじから紹介すると、この話の中心人物は経理係で平々凡々な毎日を送るけれども引っ込み思案で人と触れ合うことができず、趣味はwikipediaで絶滅した生き物のページを読むこと、しかもたぶん2017年現在25歳?とかなんだけど男性経験がないいわゆる処女っちゅう、「一見まともだけれどもどっか穴が開いてる」という綿矢りさの小説の主人公そのものの女性。物語の軸はその主人公が社内の男性「二(2、に、ニ)」に交際を申し込まれることで進む。女性はその人とデートにいったり、中学から十年間!恋慕をよせ続けている「一(1、いち、イチ)」と呼ばれる男性と同窓会で再会したりで彼女自身の感情は揺れ動き、変化していく。まあ、あとは見てねor読んでね。

さて、どうなんだろうなあ、一言でいっちゃえば綿矢りさの、上述のような、人生に対する「ハッ。ていうこのスタンス」(『蹴りたい背中』)を好んでいる私からしたらこの映画作品はいまいちだった。『勝手にふるえてろ』(映画)はびみょ~~~~にゆがんだ二人が若干?寄り添って?いくっていう話なんだけど、なんかその寄り添い具合が気に食わなかったんだよね。なんつうか、これはもしかしたら作家にとっては最悪の、作品の享受の仕方なのかもしれんけど、私は綿矢りさには、ずっと背中を蹴り続けてほしかったんだよね!わかる?「恋愛?何それ?ハッ。ていうこのスタンス」。そう飄々と、世間に背を向けながらたまにちらちらとそちらを振り向く、そういう我々の「リアルさ」を私は綿矢りさ作品に求めていた。だって人間、だれだって自分が人生に対して「おれは一味違うぞ!」と思い続けているし、かといってそういうわけじゃないし、かといって人生すべて捨てられるかっつうと、そうじゃないわけじゃないですか。そういう人生のせつなさおよびリアルを、バランスよく正直に告白してくれる作家、としての綿矢りさがかなり好きだった。

でも映画はどうだろう。なんつうか、映画である程度“生身の”人間が画面にあらわれてしまう以上、どうしてもそのバランス、拮抗が崩れていくのだ。ねえーーーー、綿矢りさの女の子には背中を蹴り続けて欲しいんだよ!キスなんてしないでほしいんだよ!キスしながら腰に手を回されたりしないでほしいんだよ!そんな平々凡々でとち狂ってる男のどこがいいのーーーーー!!!!っていうエセ親友ポジションみたいなそんなセリフがつい出てくる。ごめん!懐古ババアで申し訳ないけれども、でも、『インストール』であなたにほれ込んだ私としては、そういうあなたで居続けてほしかったんだーーー!!!

とかいうそういう感想。でも原作読んでないからなんとも言えないよね、すべての責は綿矢りさにはないのかも。映画としての出来不出来は?よく?わかんない、でもすべての“不自然”が“自然”に進行していてそのへんはうまいなと思ったよ。Be happy 恋人たち。せめて平々凡々な恋愛が自分にとってスペシャルだと信じ込み続けていてくれよな。

 

あ、ちなみにここんとこ、映画+焼き菓子とかを映画館に持ち込みアレというのをやっていましたが、今回はサダハルアオキのエクレール・ショコラとベルガモット味のマドレーヌを持ち込んだ。けれどもやはりケーキというのは朗らかで明るいところで眺めながらその視覚を味覚と誤解しながら楽しむものであって、暗闇のなかで口に突っ込むだけじゃなかなかね。家から持って行った水筒入りの鉄観音茶がまあまあうまくて癒された。

ピルを飲んでいるから絶対(いうて、99.9%)妊娠するわけはないのに生理が来ないんではなかろうかと毎月心配したりする。

ああでもこういう感覚って男性にはわからんのやろなと思ったりする。いや、飲んでるじゃん。人間の叡智を飲んでるじゃん。となるんだろうな。飲み忘れがなければほとんど100%避妊に成功するらしいピルの威力。いきなりあれな話なんですけど先月分は膣内射精というやつを一夜に八回(?!)することがあって「ああこれピル飲んでなかったら確実に妊娠するやつだわ」と行為中に確信した。(しかし妊娠率というのは意外に低く、排卵日と思われる日前後に性行・膣内射精をしても妊娠できるのは五割くらいであるらしいのだが。)しかし同時に先月は私にしてはめずらしく飲み忘れや飲み遅れが一度もなかった月で、万全の準備のなかで出迎えた八回の中出しだったわけであるが。まあ、「もしかしたら」の不安はいつまで経ってもぬぐえないやい。

こんなこと話す女が宣伝するからあれなんだと思いますけどピル、いいですよ。ヤリマンのための薬ではけしてあらず。避妊もあるけどきっかり28日周期で生理が来るのがいい。突然生理がきて下着がえらいことになるなんてこともないし、そろそろですかな?と思ってナプキンを設置しても生理が来ずただのナプキン損・お股蒸れ損(なにそれ)になることもない。何より自分の体を理性でコントロールできる「人間」感がいい。まあピルのせいで動物じみた性行に走っているわけなんですけれどもね。元も子もねえー。子はないよね。ピル飲んでるから!

で、ちゃんと生理きました。そらそうや、と、よかった、の間で揺れる女心なのであった。

ゲットアウトとシティベーカリーのチーズケーキ

私はいま修士課程の学生で修論を書いている真っ最中、締め切りまであと一か月ということになったのでずーっと頭は修論のことを考えっぱなし(マジで)。でも頭はいつまで経ってもクリアにならず、クリアじゃない頭で物事を考えることは本当によくないので、いろいろ試しはしたんだけどやっぱり物語と音楽に身を沈めることができる映画というものがいいんだろうなと思ってツイッターで評判の良かったゲットアウト(ジョーダンピールJordan Peele監督、カナダ、2017)を観に行った。場所は日比谷シャンテ。

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丸の内線銀座から日比谷へと向かう。丸の内銀座エリアといえば東急、またカカオマーケットのドライフルーツがいいかなと思ったけど100gからしか買えないのが億劫で(100gだと1600円するし)、そういえば前回諦めたマネケンのワッフル!とも思ったんだけどまたもや遅刻気味に銀座に着いてしまったのでお世話になります東急プラザ!そういえば東急プラザの地下二階にはシティーベーカリーが入っていて、私はシティベーカリーのピーナツバタークッキーが大好きだった~!と思って立ち寄ることに。

THE CITY BAKERY | 東急プラザ銀座 | 東急プラザ

夜八時近くの上映だったので店内の品物は少な目。三連休初日だったし買い物に来る人が多いんかも。クッキー等の焼き菓子コーナーはまだちらほら残っていてピーナツバタークッキーも発見。ピーナツバターをそのままかじっているような濃厚な味がやみつきなんですなあ。と思ったら隣にあったチーズケーキ(名前忘れた)に目を奪われてしょうがねえ。チーズとチョコレートの組み合わせとな。悩んだ末チーズケーキを購入。紅茶はあらかじめ作って水筒に入れておいたトワイニングのレディ・グレイ。

ほんで映画、ゲットアウト。最初の音楽がめちゃくちゃ不穏で、「人種差別ホラー」とは聞いていたけど「一番怖いのは人間でした!」のパターンではなくマジでマジモンのホラーなんか?!と思わされるほどでケーキを食べるのを忘れる。映画の構成はめちゃくちゃよく出来ていてドキドキしたりゲラゲラしながら映画は進むんだけど、「人種差別」の部分でやはりどうもムカムカしてしまって、そうそう、リベラルと呼ばれる人たちのこういう振る舞いが私も苦手なんだと思いながら(映画中のエピソードは黒人である監督の実体験に基づくものらしい)、話が落ち着いてきたのでチーズケーキをかじる。チーズの酸味がかなりしっかり出ていて、それがチョコレート部と混ざっていい感じ。と思ってたら映画はガンガン進むので次第にチーズケーキのことを忘れていく。キンキンにテンションを張った状態で映画はエンディングへ。監督がコメディアンらしく、こういう不快とも言える映画をコメディアンらしく笑いで中和させようとするんだけど主役のダニエル・カルーヤDaniel Kaluuyaの表情に圧倒されて笑えねえ。なんというか本当に映画の構成、ありがちだけどしっかりした映画音楽、色遣い、演技等、映画・ホラー映画としてはとっても良かったんだけど、なんかやっぱり「黒人」と呼ばれる人たちがとことん救われなくてゲッソリしてしまった。娯楽としてのホラーの恐怖心と、生きることにまつわる本当の恐怖心がないまぜになってとても厭な気持ちになったんだけどこれは私がポリコレ警察になっちゃってるだけかなあ。

私小説『ブラック・ボーイ』を読んだときにも思ったけど、黒人による作品って最後まで、自身を冷徹に見すぎるところがあって、自分たちを、なんというか、「落とす」んだよね。謙遜とかではなく、強烈な差別体験があったからこそ、その描写に手を抜かず、時に自分たち自身に原因を求めていく。

もちろんこの映画では、『ブラック・ボーイ』のときのような問いかけはないんだけど、けっきょく、黒人であることが、この事態を招いてしまったという救われなさの圧倒的な描写に、私はマジで凹んでしまった。

結局チーズケーキは半分残して翌日に持ち越し、ちなみに紅茶は熱すぎて飲めなかった。

プラネタリウムとカカオマーケットbyマリベルのチョコレートスコーン、フルーツディップ

CACAO MARKET by MarieBelle

東急プラザに入っているマリベルのお店 チョコレートのお店でボンボンショコラ、カフェ併設。持ち帰り用の焼き菓子やらドライフルーツにチョコレートをかけたものやら、その他もろもろのチョコレート製品。有楽町ヒューマントラストシネマで「プラネタリウム」を観るつもりで、マネケンのワッフルでもいいかなと思ってたけど四丁目交差点付近までいくのが億劫で、そういや東急プラザにマリベルが入っていて行ったことなかったなと思い出してそちらに。ナッツのチョコレートコーティングとかもあったけどボリボリするのもアレだし先述の通り焼き菓子(小麦粉)の気分だったのでチョコレートスコーンとフルーツディップを買う。コーヒーはスタバであらかじめラテを買って、水筒に入れてもらっておいた。

オープニングで食べたのがチョコレートスコーン、舌に触れる塩味がここちいいけど何より甘すぎ!これがアメリカ様の本気やで。これは食べきれんぞ。うーむ。と思いながら、探究心で買っておいたフルーツディップ、本日はオランジェットとフィグとダークチョコレート・ピスタチオ。フィグが大ぶりなのでとりあえずオランジェット。これがうまくて、オランジェットといえばレオニダスとかまあいろいろあるんだけど、マリベルのはまずオレンジの味がしっかりしていて、そこに邪魔にならない程度にチョコレートがかかっておりちょうどいい塩梅。ダークチョコレート・ピスタチオもこっそり割って食べる、ちょっとカカオの味が強く出すぎる。オランジェットをメインにつまみながら観たプラネタリウム、スピリチュアルと詐欺のぎりぎりの線上をキャッキャと駆け巡るナタリー・ポートマンとリリー=ローズ・デップが見られるのかと思いきや映画はもう少しシリアスで何も考えていないコピーに腹がたったり、へたに現代芸術的なカットを持ち込んで歴史も美もきめ細やかに描こうとしないディレクションに腹がたったり、まああんまりいい映画ではなかった(と思う)。

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パターソンとノワ・ドゥ・ブールの焼菓子

ちょっといい感じの焼き菓子とコーヒーを映画館に持ち込むのにはまっている。映画館への(フード販売で買ったもの以外の)食べ物の持ち込みってたぶんグレーゾーンなんだよなとは思うけど映画館に持ち込んで好きだった&好きじゃなかった焼き菓子について書く。

でも一応フード販売のジャンキーなチュロスとかポテトも好き

 

ノワ・ドゥ・ブールのパンプキンマドレーヌ(すごく好き)とフィナンシェ・カシスマロン(ふつう)

伊勢丹にあるノワ・ドゥ・ブール フィナンシェ等の焼き菓子やケーキ等の生菓子を売っている。

noix de beurre|ノワ・ドゥ・ブール

焼きたてのフィナンシェがとてもおいしく実家の帰省土産に買うと喜ばれる キャラメルパウンドケーキは洋酒が入っているので子育て授乳中の姉には怒られたが私の母はこの濃厚な味をとても気に入っている。一個から紙袋にざくんと入れてもらえるので(日持ちが違うものは別々の袋に入れられるっぽいので面倒)よく買う。

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(画像出典: noix de beurre|ノワ・ドゥ・ブール

で、たぶんそれぞれ十月限定だと思われるパンプキンマドレーヌとカシスマロン味の焼き菓子を買って新宿武蔵野館に「パターソン」を観に行った。コーヒー屋による時間がなかったので武蔵野館の自販機で水を購入。

パンプキンマドレーヌ、めっちゃうま。うま。かぼちゃとバター、糖質と脂質の組み合わせってこんなに人をめろめろにさせてくれるのねという感じ。ちょっと表面がべとべとしているので上映中うっちゃりシートなんかを汚したりしないか若干こころもとないが暗闇のなかでもはっきりとわかるかぼちゃの味、うま。

うまいなーと思ったついでに食べたフィナンシェ・カシスマロンは肝腎のカシスマロンの味がよくわからず普通。ふつうにフィナンシェで良かったかも。カシスマロンの味といえばジャンポールエヴァンでたまに売ってるテュランがめちゃくちゃうまいのでおすすめ しかも形状的に(舟形のアーモンドタルト)手でつかんで食べられる ただ箱に入れられちゃうから映画館じゃなくて家で食べるしかないんだけど。

パターソンはインテリアかわいいし日常も生活も味わい深かったけど日本人詩人の作為性がダサくて最後の最後に耐えられなかった。

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