グレイテストショーマンは全然グレイトではない。

ああーーまたつまんない映画を観ちゃった。と思ったら脚本ビルコンドン。ビルコンドンといえば美女と野獣(2017)、ドリームガールズ(2006)、私はどちらも苦手な映画だったのでどんだけ相性悪いのよっていう。でもさあ、この映画でどれほどの人間が、「人生いいなあ!」って思うわけよ?「何事もほどほどがいい」だなんて話を観させられて何がおもしろいんだっつうの。うるせえ!そこで一生はいつくばってな!あとさあなんか「多様性を描いた」みたいな評もあるらしいけど、それはもうすでに美女と野獣で大失敗してたじゃん…。

そもそも、「何事もほどほど略」を描く過程にしたって雑雑雑。飛び交う伏線と視線は全部無意味。おっさんたちの独白と感情が先行しまくってドン引き。ゆっとくけどクソCGダサすぎ!音楽もワンパターンで退屈。あのねえ愛にしたって神にしたって細部に宿るのよ。細部を欠いた映画なんてクソを拭く紙にもなりはしねえわ。

ていうかなんというか「ディズニーでやれ」って感じが半端ない、表面だけがきれいなおはなし。というかディズニーでも最近はもうちょっとエグい描写するよね。『ズートピア』とかさ。『アナと雪の女王』も、もうそういうきれいなストーリーラインじゃ人の心は動かないんだ!って主張せんばかりの結末だったではないか。表面を一歩超えたところにこそ、ようやく映画と観客の人生との接点が発生しうるのに。

いろいろ映画評を見ていると、この映画と、もととなった史実とは離れている部分も多いらしく、例えばバーナムはサーカスを始めるために奇人(freaks)を集めたわけだけれどそこではけっこうエグいことをやっていたであったとか、一方で禁酒法の呼びかけに携わったとか、そういう部分もある人間だったらしい。書けばおそらくこの映画全体のハピネスな感じは消え失せるだろう。だけれどもまさに虚飾にまみれた都合のよいハピネスを見て、一体どれほどの人間が幸せになりたいだなんて思うんだろうか。エグさとかキツさ、汚れ、もしくは彼の善行などときちんと向き合い描き切ってこそ神は宿り愛は生まれるのではなかろうか。歌と踊りの勢いで動かせるほど、人間の心はもうすでに単純ではないよ…。

まあ人によるとは思うけどこれをデートで見させられてこの映画が終わったあとに「ホテルセンチュリーサザンタワーが予約してあるんだけど(新宿ピカデリーで見たという設定)、まずはそこのバーで一杯どう?」とか言われても速攻で断るな。バーロォ、細部だ細部!細部にこだわんなきゃだめなの!そんなありきたりなデートラインじゃもう私の心は満たされないんだって。あの手この手でリアルを作り上げた上で、そうして私の緻密な愛情を探り当てて頂戴。という話。

勝手にふるえさせてほしい、勝手にふるえてろ

主演の松岡茉優さんとやらの演技がよいと聞いていて、わたくしわりと実は綿矢りさが好きなので観に行った! つっても綿矢りさの熱心な読者というわけではなく、読んだことがあるのは『インストール』『蹴りたい背中』『亜美ちゃんは美人』『かわいそうだね?』くらい。あと昔新潮?すばるかもしんない、に載ってた三姉妹がどうこうとかの話も読んだかな、タイトル忘れちゃったけど。

私が綿矢りさがわりと好きなのは、人生における“ぎこちなさ”みたいなものを鋭く描いていると思うからだ。主人公だとか対象になる人はどこか人生とか生活に対して斜に構えている人で、そういう人とナナメの人もしくはまっすぐな人がこすり合って生まれてしまうぎこちなさ。思惑と感受が見事なまでにかみ合わなくって、でも赤面してるのは読者だけっつう、その絶妙な置いてけぼり感を好んでいる。

『勝手にふるえてろ』に関しては私は原作を読んだことがなくて、まああらすじから紹介すると、この話の中心人物は経理係で平々凡々な毎日を送るけれども引っ込み思案で人と触れ合うことができず、趣味はwikipediaで絶滅した生き物のページを読むこと、しかもたぶん2017年現在25歳?とかなんだけど男性経験がないいわゆる処女っちゅう、「一見まともだけれどもどっか穴が開いてる」という綿矢りさの小説の主人公そのものの女性。物語の軸はその主人公が社内の男性「二(2、に、ニ)」に交際を申し込まれることで進む。女性はその人とデートにいったり、中学から十年間!恋慕をよせ続けている「一(1、いち、イチ)」と呼ばれる男性と同窓会で再会したりで彼女自身の感情は揺れ動き、変化していく。まあ、あとは見てねor読んでね。

さて、どうなんだろうなあ、一言でいっちゃえば綿矢りさの、上述のような、人生に対する「ハッ。ていうこのスタンス」(『蹴りたい背中』)を好んでいる私からしたらこの映画作品はいまいちだった。『勝手にふるえてろ』(映画)はびみょ~~~~にゆがんだ二人が若干?寄り添って?いくっていう話なんだけど、なんかその寄り添い具合が気に食わなかったんだよね。なんつうか、これはもしかしたら作家にとっては最悪の、作品の享受の仕方なのかもしれんけど、私は綿矢りさには、ずっと背中を蹴り続けてほしかったんだよね!わかる?「恋愛?何それ?ハッ。ていうこのスタンス」。そう飄々と、世間に背を向けながらたまにちらちらとそちらを振り向く、そういう我々の「リアルさ」を私は綿矢りさ作品に求めていた。だって人間、だれだって自分が人生に対して「おれは一味違うぞ!」と思い続けているし、かといってそういうわけじゃないし、かといって人生すべて捨てられるかっつうと、そうじゃないわけじゃないですか。そういう人生のせつなさおよびリアルを、バランスよく正直に告白してくれる作家、としての綿矢りさがかなり好きだった。

でも映画はどうだろう。なんつうか、映画である程度“生身の”人間が画面にあらわれてしまう以上、どうしてもそのバランス、拮抗が崩れていくのだ。ねえーーーー、綿矢りさの女の子には背中を蹴り続けて欲しいんだよ!キスなんてしないでほしいんだよ!キスしながら腰に手を回されたりしないでほしいんだよ!そんな平々凡々でとち狂ってる男のどこがいいのーーーーー!!!!っていうエセ親友ポジションみたいなそんなセリフがつい出てくる。ごめん!懐古ババアで申し訳ないけれども、でも、『インストール』であなたにほれ込んだ私としては、そういうあなたで居続けてほしかったんだーーー!!!

とかいうそういう感想。でも原作読んでないからなんとも言えないよね、すべての責は綿矢りさにはないのかも。映画としての出来不出来は?よく?わかんない、でもすべての“不自然”が“自然”に進行していてそのへんはうまいなと思ったよ。Be happy 恋人たち。せめて平々凡々な恋愛が自分にとってスペシャルだと信じ込み続けていてくれよな。

 

あ、ちなみにここんとこ、映画+焼き菓子とかを映画館に持ち込みアレというのをやっていましたが、今回はサダハルアオキのエクレール・ショコラとベルガモット味のマドレーヌを持ち込んだ。けれどもやはりケーキというのは朗らかで明るいところで眺めながらその視覚を味覚と誤解しながら楽しむものであって、暗闇のなかで口に突っ込むだけじゃなかなかね。家から持って行った水筒入りの鉄観音茶がまあまあうまくて癒された。

ピルを飲んでいるから絶対(いうて、99.9%)妊娠するわけはないのに生理が来ないんではなかろうかと毎月心配したりする。

ああでもこういう感覚って男性にはわからんのやろなと思ったりする。いや、飲んでるじゃん。人間の叡智を飲んでるじゃん。となるんだろうな。飲み忘れがなければほとんど100%避妊に成功するらしいピルの威力。いきなりあれな話なんですけど先月分は膣内射精というやつを一夜に八回(?!)することがあって「ああこれピル飲んでなかったら確実に妊娠するやつだわ」と行為中に確信した。(しかし妊娠率というのは意外に低く、排卵日と思われる日前後に性行・膣内射精をしても妊娠できるのは五割くらいであるらしいのだが。)しかし同時に先月は私にしてはめずらしく飲み忘れや飲み遅れが一度もなかった月で、万全の準備のなかで出迎えた八回の中出しだったわけであるが。まあ、「もしかしたら」の不安はいつまで経ってもぬぐえないやい。

こんなこと話す女が宣伝するからあれなんだと思いますけどピル、いいですよ。ヤリマンのための薬ではけしてあらず。避妊もあるけどきっかり28日周期で生理が来るのがいい。突然生理がきて下着がえらいことになるなんてこともないし、そろそろですかな?と思ってナプキンを設置しても生理が来ずただのナプキン損・お股蒸れ損(なにそれ)になることもない。何より自分の体を理性でコントロールできる「人間」感がいい。まあピルのせいで動物じみた性行に走っているわけなんですけれどもね。元も子もねえー。子はないよね。ピル飲んでるから!

で、ちゃんと生理きました。そらそうや、と、よかった、の間で揺れる女心なのであった。

ゲットアウトとシティベーカリーのチーズケーキ

私はいま修士課程の学生で修論を書いている真っ最中、締め切りまであと一か月ということになったのでずーっと頭は修論のことを考えっぱなし(マジで)。でも頭はいつまで経ってもクリアにならず、クリアじゃない頭で物事を考えることは本当によくないので、いろいろ試しはしたんだけどやっぱり物語と音楽に身を沈めることができる映画というものがいいんだろうなと思ってツイッターで評判の良かったゲットアウト(ジョーダンピールJordan Peele監督、カナダ、2017)を観に行った。場所は日比谷シャンテ。

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丸の内線銀座から日比谷へと向かう。丸の内銀座エリアといえば東急、またカカオマーケットのドライフルーツがいいかなと思ったけど100gからしか買えないのが億劫で(100gだと1600円するし)、そういえば前回諦めたマネケンのワッフル!とも思ったんだけどまたもや遅刻気味に銀座に着いてしまったのでお世話になります東急プラザ!そういえば東急プラザの地下二階にはシティーベーカリーが入っていて、私はシティベーカリーのピーナツバタークッキーが大好きだった~!と思って立ち寄ることに。

THE CITY BAKERY | 東急プラザ銀座 | 東急プラザ

夜八時近くの上映だったので店内の品物は少な目。三連休初日だったし買い物に来る人が多いんかも。クッキー等の焼き菓子コーナーはまだちらほら残っていてピーナツバタークッキーも発見。ピーナツバターをそのままかじっているような濃厚な味がやみつきなんですなあ。と思ったら隣にあったチーズケーキ(名前忘れた)に目を奪われてしょうがねえ。チーズとチョコレートの組み合わせとな。悩んだ末チーズケーキを購入。紅茶はあらかじめ作って水筒に入れておいたトワイニングのレディ・グレイ。

ほんで映画、ゲットアウト。最初の音楽がめちゃくちゃ不穏で、「人種差別ホラー」とは聞いていたけど「一番怖いのは人間でした!」のパターンではなくマジでマジモンのホラーなんか?!と思わされるほどでケーキを食べるのを忘れる。映画の構成はめちゃくちゃよく出来ていてドキドキしたりゲラゲラしながら映画は進むんだけど、「人種差別」の部分でやはりどうもムカムカしてしまって、そうそう、リベラルと呼ばれる人たちのこういう振る舞いが私も苦手なんだと思いながら(映画中のエピソードは黒人である監督の実体験に基づくものらしい)、話が落ち着いてきたのでチーズケーキをかじる。チーズの酸味がかなりしっかり出ていて、それがチョコレート部と混ざっていい感じ。と思ってたら映画はガンガン進むので次第にチーズケーキのことを忘れていく。キンキンにテンションを張った状態で映画はエンディングへ。監督がコメディアンらしく、こういう不快とも言える映画をコメディアンらしく笑いで中和させようとするんだけど主役のダニエル・カルーヤDaniel Kaluuyaの表情に圧倒されて笑えねえ。なんというか本当に映画の構成、ありがちだけどしっかりした映画音楽、色遣い、演技等、映画・ホラー映画としてはとっても良かったんだけど、なんかやっぱり「黒人」と呼ばれる人たちがとことん救われなくてゲッソリしてしまった。娯楽としてのホラーの恐怖心と、生きることにまつわる本当の恐怖心がないまぜになってとても厭な気持ちになったんだけどこれは私がポリコレ警察になっちゃってるだけかなあ。

私小説『ブラック・ボーイ』を読んだときにも思ったけど、黒人による作品って最後まで、自身を冷徹に見すぎるところがあって、自分たちを、なんというか、「落とす」んだよね。謙遜とかではなく、強烈な差別体験があったからこそ、その描写に手を抜かず、時に自分たち自身に原因を求めていく。

もちろんこの映画では、『ブラック・ボーイ』のときのような問いかけはないんだけど、けっきょく、黒人であることが、この事態を招いてしまったという救われなさの圧倒的な描写に、私はマジで凹んでしまった。

結局チーズケーキは半分残して翌日に持ち越し、ちなみに紅茶は熱すぎて飲めなかった。

プラネタリウムとカカオマーケットbyマリベルのチョコレートスコーン、フルーツディップ

CACAO MARKET by MarieBelle

東急プラザに入っているマリベルのお店 チョコレートのお店でボンボンショコラ、カフェ併設。持ち帰り用の焼き菓子やらドライフルーツにチョコレートをかけたものやら、その他もろもろのチョコレート製品。有楽町ヒューマントラストシネマで「プラネタリウム」を観るつもりで、マネケンのワッフルでもいいかなと思ってたけど四丁目交差点付近までいくのが億劫で、そういや東急プラザにマリベルが入っていて行ったことなかったなと思い出してそちらに。ナッツのチョコレートコーティングとかもあったけどボリボリするのもアレだし先述の通り焼き菓子(小麦粉)の気分だったのでチョコレートスコーンとフルーツディップを買う。コーヒーはスタバであらかじめラテを買って、水筒に入れてもらっておいた。

オープニングで食べたのがチョコレートスコーン、舌に触れる塩味がここちいいけど何より甘すぎ!これがアメリカ様の本気やで。これは食べきれんぞ。うーむ。と思いながら、探究心で買っておいたフルーツディップ、本日はオランジェットとフィグとダークチョコレート・ピスタチオ。フィグが大ぶりなのでとりあえずオランジェット。これがうまくて、オランジェットといえばレオニダスとかまあいろいろあるんだけど、マリベルのはまずオレンジの味がしっかりしていて、そこに邪魔にならない程度にチョコレートがかかっておりちょうどいい塩梅。ダークチョコレート・ピスタチオもこっそり割って食べる、ちょっとカカオの味が強く出すぎる。オランジェットをメインにつまみながら観たプラネタリウム、スピリチュアルと詐欺のぎりぎりの線上をキャッキャと駆け巡るナタリー・ポートマンとリリー=ローズ・デップが見られるのかと思いきや映画はもう少しシリアスで何も考えていないコピーに腹がたったり、へたに現代芸術的なカットを持ち込んで歴史も美もきめ細やかに描こうとしないディレクションに腹がたったり、まああんまりいい映画ではなかった(と思う)。

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パターソンとノワ・ドゥ・ブールの焼菓子

ちょっといい感じの焼き菓子とコーヒーを映画館に持ち込むのにはまっている。映画館への(フード販売で買ったもの以外の)食べ物の持ち込みってたぶんグレーゾーンなんだよなとは思うけど映画館に持ち込んで好きだった&好きじゃなかった焼き菓子について書く。

でも一応フード販売のジャンキーなチュロスとかポテトも好き

 

ノワ・ドゥ・ブールのパンプキンマドレーヌ(すごく好き)とフィナンシェ・カシスマロン(ふつう)

伊勢丹にあるノワ・ドゥ・ブール フィナンシェ等の焼き菓子やケーキ等の生菓子を売っている。

noix de beurre|ノワ・ドゥ・ブール

焼きたてのフィナンシェがとてもおいしく実家の帰省土産に買うと喜ばれる キャラメルパウンドケーキは洋酒が入っているので子育て授乳中の姉には怒られたが私の母はこの濃厚な味をとても気に入っている。一個から紙袋にざくんと入れてもらえるので(日持ちが違うものは別々の袋に入れられるっぽいので面倒)よく買う。

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(画像出典: noix de beurre|ノワ・ドゥ・ブール

で、たぶんそれぞれ十月限定だと思われるパンプキンマドレーヌとカシスマロン味の焼き菓子を買って新宿武蔵野館に「パターソン」を観に行った。コーヒー屋による時間がなかったので武蔵野館の自販機で水を購入。

パンプキンマドレーヌ、めっちゃうま。うま。かぼちゃとバター、糖質と脂質の組み合わせってこんなに人をめろめろにさせてくれるのねという感じ。ちょっと表面がべとべとしているので上映中うっちゃりシートなんかを汚したりしないか若干こころもとないが暗闇のなかでもはっきりとわかるかぼちゃの味、うま。

うまいなーと思ったついでに食べたフィナンシェ・カシスマロンは肝腎のカシスマロンの味がよくわからず普通。ふつうにフィナンシェで良かったかも。カシスマロンの味といえばジャンポールエヴァンでたまに売ってるテュランがめちゃくちゃうまいのでおすすめ しかも形状的に(舟形のアーモンドタルト)手でつかんで食べられる ただ箱に入れられちゃうから映画館じゃなくて家で食べるしかないんだけど。

パターソンはインテリアかわいいし日常も生活も味わい深かったけど日本人詩人の作為性がダサくて最後の最後に耐えられなかった。

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たかが世界の終わり

ある男が十二年も戻ってなかった実家に帰ってそこで過ごす話。なんで十二年も戻ってなかったかというのは冒頭に明かされるしトレーラーでも流されるからそこまで重要なネタバレでもないのかもしれないけど、もしかして全く前情報なしで観たほうがおもしろいのかもしれない。
とにかく、言葉、言葉の暴力よ言葉、字幕でも予告でも日本版ポスターでも「不器用」という語がつかわれるけれど不器用って日本語はなんとなしにださいよね、けれどもまあそうとしか言いようのない言葉の暴力にちょっと疲れる。なんどか目をつむってよーしらんフランス語の響きだけを聞いていた。けれども着実に緊迫していく雰囲気が張りつめて爆発し、収束し、映画は終わる。夕陽が収束を祝い、男は帽子を被る。言いたいことなんかどうせ一つも言えへんのや。たかが、世界の終わりに過ぎないのだし。

私はものすごくぐっときてしまったわけだが、でも感動を求めてみる感じでは全くないぞ、とにかく疲弊する映画だし、Varietyなんかは” a frequently excruciating dramatic experience”と言っていたくらいだし、演出も脚本も過剰だと思うことは多かったししかしその過剰さがリアリティなのであってすなわち根本的には苦しい映画だと思う。でもたぶん日常のなかに苦しさを見出したり取り入れたりすることは想像力のためにも必要なのであって。私は夕陽の中の男の帽子をずっとずっと思い出すだろう。どうでもいいけどギャスパーウリエルが昔に関係をこじらせた男に似すぎでつらかった!