エモーショナル別れ

セフレという呼び方はそれほど好きじゃ無いが、まあそういう関係にあると世間一般で言われるだろう人物と、この間、もうあんまり会わないことにしましょうね、という話になった。ぶっちゃけ、セフレと呼ばれる関係にある人間同士はこれからも梅の花がほころぶたびに連絡を取り合うもの、というのは人生のことわりなのでこんなことをいくらしたためてもしょうがないのかもしれないが、一旦はそういうことで。つって。
(追記、ウイルス関係ないです。)

ついでに、こういう関係にある人間と別れなくたっていいのではないか、というのもまたよく言われる話だとは思うが、なんか結局、優しくなかったんだよな。私にしてはめずらしく随分、その人物と話し込んだが、私のことを大事にしない割に、大事にしたいという感情を伝えてくる態度に飽きてしまった(お、セフレという存在は往々にしてそういうものですね)。もちろん、私という人間はかなり自己批判性の強い人間でもあるので、「優しいとは何か?大事にするとはなにか?」「大事にしろ、という私の感情は我侭なのではないか?」とひとしきり悩んだが、ばっさり切り捨ててしまえばこんな感情は三十路近い人間が持っていい悩みではない。たいがいの人間はもっと前に、だいたいの自分の行動範囲の人間たちと、優しさのあり方に関する基本的な合意を取り付けているものだ。

いまはもう結婚した友人の話だが、私ととある男との痴情のもつれについて、彼女が相談に乗ってくれたことがあった。私がその人物から受けて来た扱いを話し切って、友人が頷きながら聞くだけで時間が過ぎた。その帰り道に私が礼儀半分で友人が当時交際していた男性とうまくいっているのか聞いてみたところ、彼女はうまくいっている、と言ったあとに「優しいよ、あの人は」と自分の恋人のことを評するのだ。私がふざけて、「えー、具体的にはどういうところが?」と吹っかけてみたら、「バイト先まで迎えに来てくれるところとか、いつも車道側を歩いてくれるところとか」と言うのだった。非常にナイーブな「優しさ」だと判断すると同時に、しかし彼女の中に、瓶詰めされた金平糖のように光る、彼女の恋人の優しさとやらが本能的にすさまじく羨ましかった。(彼女はその男性と数年後結婚した。)

ある人に対し、もう感情を持つのはこれきりやめよう、と感じた瞬間そのときの、空気感とか自分の居心地の悪さだとかはいつまで経っても覚えてるものだ。これまでに二人に対して感じたことがある。一度目は、何回かドタキャンされたあとの性交が済んで、ベッドでぼーっとその人物の顔を見つめていた時間で、かなりの補正も入っているのだろうが、その人物の、まつげとか、額から目のくぼみまでの線、目のくぼみから鼻の先(鼻の先、という表現が似合うくらい尖った鼻だった。でも丸みもあって。)までの線、目線の向かうほう。など。これはもう五年くらい前の話だ。二度目が今回の人物で、その人物がベッドで昼寝をしているときに私はそばの椅子に座り、膝を立て、立てた膝に顎を乗せていた。これは一ヶ月前の話。
「感情を持つのはこれきりやめよう」という言葉が頭を巡るわけではなく、むしろ静謐な、おだやかな時間でさえあるのだが、彼らを前にしてそういうおだやかな気持ちになることがすでに、私と彼らの関係からして異常なのであって、そういうおだやかさを知ったとき、私の人生にその人物はもう存在しないし、その人物の人生のなかに私ももう存在しない。

最近、私は周囲の恋愛相談にわりと平気で「優しい人がいいよ」と言い回っているのだが、それは本当に金平糖などという毒にも薬にも肥満にも栄養にもならんただの甘味を勧めているだけのようで、真理に触れているはずなのにどこかみじめだ。私の頭の中では、椅子に座って膝を立て、食べもしない金平糖の入った瓶をころころと音を鳴らして遊んでいる、そういう私自身の姿がほんのりとにじんだままだ。

2020(バレンタイン)チョコレート振り返り

バレンタインだからチョコレートを買うわけじゃないが、やはりそれにかこつけて今年もたくさん食べたので記録に残しておく。

エス・コヤマ チョコロジー2019

「エスコヤマ チョコロジー」の画像検索結果

女性の人生をイメージしたチョコレート四種類。食べる順番も決まっていておもしろい。確かに四種のチョコレートが一本の線でつながっていくのがわかる。パプリカとフランボワーズといった味の組み合わせがおもしろくて、次のNakamura Chocolateと同じく、日本人ショコラティエもなかなかがんばっとるんやなあ(上目線)と感じた。

(ただ別の話なんだけど女性像を味にするってかなり気色悪いなとも思ってしまった…私がもしショタをイメージしたチョコレートをなめ転がしてたらキモいでしょ。まあこういうところにいちいちいらいらしてしまうから言葉狩りだの表現の自由狩りだなんだと言われてしまうのですが…)

Nakamura Chocolate オーストラリアンセレクション

「nakamura chocolate オーストラリアンセレクション」の画像検索結果

見た目がかなりかわいいのがいい。フランス系のチョコレートってどうしても見た目はシンプルになる印象があるが、サダハルアオキ以外にも華やかなチョコレートを探してる人にはおすすめ。どこかのパティシエが「チョコレートは二回か三回か噛んだあと、あとは舌の上で余韻を楽しむ」というような食べ方を指南していたけどその意味ではここのチョコレートはコーティングが厚め&硬めなものが多いのもあって「噛んで」楽しむものだった。プラムと栗、みたいな愉快な味もあって好きな作りだった。わけあって賞味期限を過ぎたものをいくつか食べることになってしまったんだけど繊細だからか香りがすでに飛んでしまっていた。来年も食べたい。

キャラメルパリ ヌガティーン ひまわりの種

カラックロック ノワール(1箱)

今年一番印象に残ったチョコレートのひとつ。ひまわりの種のプラリネを薄く形作って、それをダークチョコレートでコーティングしたもの。プラリネのかりっとした食感、キャラメリゼの甘さと融和するチョコレート。カジュアルなんだけど味はクオリティが高いのが罪深い。枚数も多いのでみんなでわいわい食べるのにちょうど良さそう。

ジャンシャルルロシュー フルーツタブレット

サロン・デュ・ショコラでいちごのフルーツタブレットを取り扱っていたのでまっさきに買ったが、こんなにおいしいものだったとは!いちごとチョコレートの組み合わせって、昔から「チョコレートを先に食べるとフルーツがすっぱくなるからね」と母に言われてきたせいかどうしても身構えるのだが、ここのフルーツタブレットはいちごの甘さとチョコレートの甘さがぱちっとはまるから嫌なところが一つもない。惜しいのは消費期限がほぼ一日とかなり短いところで、無視して四日くらいすぎてからも大事にちまちま食べていたわけだけどそこまでくるとさすがにいちごの酸味が尖ってきてチョコレートとは相容れないものになってしまっていた。とにかくおいしいので何枚でも食べたい。

 

公式の画像が見つからないのであとは文字だけ。ショコ・オ・キャレショコラアソートプラリネ、立方体の見た目がかわいらしく、しかもプラリネが九種類九個も入っているのでテンションあがる。プラリネといえばサダハルアオキを勧められたことがある。個人的にはアラン・デュカスのプラリネが味が濃くて好き。

フランク・ケストナータブレットロレーヌはミラベルのジュレとヘーゼルナッツのプラリネの組み合わせのタブレット。ジュレとプラリネが入っているし極めつけに薄くコーティングがしてあるのでボンボンのような構成。ミラベルの酸味、ヘーゼルナッツの香ばしさ、コーティングの薄さ、と楽しめてこれも結構好きなチョコレートだった。コーティングが細かく割れるのでタブレットとしては食べづらかったが…。

八幡礒五郎スパイスチョコレートもよかった。山椒と紫蘇を買ったが、山椒はミルクチョコレートをなめているとなじみ深い山椒の香りと刺激が舌と鼻を通る。紫蘇はチョコレートの中の酸味の延長線が紫蘇の甘みと酸味につながっていく体験がおもしろかった。

はじめてパトリック・ロジェのチョコレートを食べたけど、そもそものカカオの味わいが他のブランドとは大きく異るほど強い(香りも強い)、根強いファンがいるのも理解できる。

余談だが、今年のサロン・デュ・ショコラはサブレ系のチョコレートが多かったように見えた。サブレをチョコレートでコーティングしたもの。私が行った時間帯ではほとんど売り切れていたので買えなかったが、さぞかしおいしいものだったんだろうな。安い買い物じゃないのに毎年毎年新しい味に出会えるからチョコレートはやめられないね。チョコレートはお腹もいっぱいにならないし酔いもしないから他の美食趣味に比べて気軽な気さえする。

私なりに気を利かせたミッドサマー感想

誤解を恐れずに『ミッドサマー』のプロモーションを友人にするとしたら「男関係で少しでも不愉快な思いをしたことのある人は観に行ったらいいんじゃない?」ということだけ。破局を体感する物語としてよく出来ているのだ。あきらかに終わりの近いカップルと彼らの友人が、交換留学生の故郷に研究調査も兼ねて遊びに行くという話なのだが、ここから話の内容をはっきりと書いていくけど、着いた先の村というのはカルト集団の住む村で、何年かに一度のサイクルで行われる儀礼祭典が行われ、なんじゃかんじゃ起こるわけだが、祭典の「女王」になった女性(ダニー)は最終的に自分の恋人の男性を祭典のフィナーレの生贄として選ぶ。男性のほうは薬を盛られすっかりラリってしまい、虚な目で周りを見渡しながら火に包まれていく。カルト集団はその生贄の儀式を見ながら、これまた儀礼の一部かのように大袈裟に泣き喚いて見せる。恋人を燃やしたダニーはその慟哭に身を浸しながら、最後にハッと笑う。そういう話だ。
この映画が破局の物語としてよく出来ているのは、冒頭から、カップルのぎこちなさを、しかもたいていの場合は男性側の過失ゆえのぎこちなさを巧みに挟み、観客のうち男関係ーー21世紀らしくいえば恋愛関係で少しでも不愉快な思いをしたことのある人との連帯を築いていくように話が組み立てられているからである。鬱病の症状がある妹から連絡が来ず心配するダニーに対し「大したことはないよ」という様(自分が相談された側の立場で「気にしすぎだよ大丈夫だよ」とアドバイスしたあとにその人が死んじゃったらまじで取り返しつかない感情になると思うのだが)、別れたあとの次のセックスのことばかりを考えるホモソーシャル、旅行に行くことを共有しない意地悪さ・関係への諦め、男;「謝ればいいのだろう」女;「謝ってほしいわけじゃないの」のやりとり、女がいるから俺たちのノリが悪くなるぜなホモソーシャル②など、わたしはまじで、この映画を見ている最中「オトコってサイテー!」と本気で思ったし、ダニーが最後に生贄としてその男を選んでくれたときわたしは本当に、映画が応援上映形式だったならば腕を振って「ダニー!君はサイコーだ!」と叫んでいただろう。「カップルで見に行くときまずくなるらしいね」なんてごまかした感想が流れてくるけど、男!おまえのことだよ!この映画は男を殺している映画なんじゃい!と大変明るい気持ちになった。ガールズパワー!とも口走ってしまうくらいのパワー、加えて、そのパワーをはじめから終わりまで一貫して醸成し観客の側に感情を埋め込ませるその巧妙さに舌を巻き、友人たちに本作品のことを強く勧めている。
しかし、この破局の物語が、女性のそうした感情に誠実に寄り添ったものであったかどうかについてはわたしは信じきることはまたできていない。この映画は最後に男を殺すことで女性に解放をもたらしたわけだが、そこに至るまでの女性の書き方もまた、典型に基づいている。さきほどの、男;「謝ればいいのだろう」女;「謝ってほしいわけじゃないの」のやりとりは特に、いわゆる「女のめんどくささ」の発露であったが(めんどくさいのは男から見た目線なのであって別にこのめんどくささが性別を超えたスタンダードなものになってもよいのにね)、儀礼祭典のメインイベントが女性のみの参加で、しかもダンスによって決められること、初夜の儀礼は番になる男女二人のほかに女性のみが裸体で参加すること(一般的に、下ネタが「リアル」「生々しい」だと言われてしまう女子の会合を思い出した)、といった一連のストーリーによって、女性が集団で動き、感情を同化させ、しかしその感情の共有によって結合していく…現代でも「女ってこうだよな、苦笑。」と話の種にされがちな現象が描かれており、加えて最後の結末も考えれば、「女って感情の生き物じゃん。コエー。わらい。」みたいな印象を鑑賞者に与えるだろうとも感じた。少し穿った見方かもしれないが。
こうして振り返れば本作品は多重に狡猾に男女を描いていたのかもしれず、こういう見方になってしまえば男女同士が互いの典型ぷり及び滑稽さを嗤い合うという分断を再生産してしまうだけ…なのはわかっている。それでも私はこの映画の気持ちよさにいつのまにかはまってしまった。それは巷で呼ばれるような「共感」とか「自己没入」を体験したわけではなく、ただただ、自分が持つ加害願望、特に男性に対する、男性どもが私たち女の憤怒を思い知るまで破滅的に潰し尽くしてやりたいという加害妄想!が華やかに成就したことへの喜び。

 

追記
このことあんまり書いている人いないなと思って見てからずっとこの記事に取り掛かっていたが、きょうついに似たような話を見つけてしまいました。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2003/10/news124.html

無言の留守電

なかなか空気が冷え切らない冬の日、夕飯を作っているときに不意に祖母のことを思い出した。祖母は八年前に他界している。
たくましい人、という形容がよく似合う人だった。死の原因となる病気に身体を乗っ取られるまで、二本足でひょいひょいと歩き、飯ももりもりと食べた。先日、また家族でディズニーランドに行ったが、家族で「そういえばおばあちゃんはずっと絶叫マシンに乗ってたねえ。平気な顔してたねえ。」と盛り上がった。とりわけ、夕飯を作っているときに祖母のことを思い出すと、熱い鉄板などものともせず素手で握り持ち上げていた祖母の厚い手のひらのこと、それに「焦げの部分に栄養があるのだ」と言ってはばからずに料理の黒い部分を食べたことが蘇る…とまあ、こんな具合にていねいに記憶をたどるときりがない。

祖母が死んだのは、膵臓がんのせいだった。あまり覚えてはいないが、がんだとわかってから多分、一年くらいで逝ってしまったと記憶している。膵臓がんは癌のなかでもとりわけ難しいものとされており(と当時聞いた)、噂に違わずそれは祖母のたくましさをあっというまに奪っていった。
食欲が減り、体力が衰えた。家の前の階段でつまづいた(つまづいてもそれが決定的な寝たきりにつながらなかったことは祖母の名誉だが)。
そうこうしているうちに、ぼけはじめた。

ぼけは見聞していた以上に悲しい病気だった。トイレがトイレで出来なくなり、母が慌てて祖母をトイレに連れて行く。得意だった編み物を忘れ、リハビリ代わりに母が簡単な編み物キットを買っても完遂できない。ぼけていく記憶とたくましい彼女の精神は悲しいまでに拮抗し、どういう流れだったか忘れたが、ある日に祖母は

「はやくしんじゃいたいやね」

とつぶやいた。私はとにかく「そんなこといわないで」と返した。「そんなこといわないで」以上に返す言葉が絶対にある、とめまいのなか必死で考えながら、それでも何も思いつかず、すっかり曲がってしまって断崖のようになった祖母の背中に手を添えた。

お涙頂戴ばりにここまで書いているが、そのときの私は弱る祖母を支える孫でも、それをさびしく見つめる孫でもなかった。そんないいやつではなかった。もちろん、支え、見つめ、死のむごさを感じていたわけではあったが、私はそこまで誠実ではなかった。

祖母が死んだ年は、私が大学に受かった年だった。たしか、私が大学合格を決めたときには祖母はそこまで衰えてはおらず、合格の電話を入れると「よかったねえ!」とはしゃいだ声がきんきんと返ってきた。
そこから急速にぼけが進んだらしい。上京したばかりの四月、私のところには三日とあけず、祖母から電話がかかってきていた。昼間は大学に通う私の携帯には留守電ばかりが残った。留守電といっても、たいていは「元気にやってるー?」「ばあばでーす」と言うだけ言って、切れてしまうものだったとおぼえている。

この、「鬼留守電」とでもいうべき彼女の連絡に対し、正直に告白すれば、「めんどうだなあ」という気持ちが私の心のどこかにあった。いや、さすがにめんどうだとは思わなかったかもしれないが、憧れていたキャンパス・ライフの中に身を置いていた私が、病気に身体を侵された祖母を心配し早く電話をかけ直さなければ、とはなかなか思えなかったのはその通りだった。ある日、こういう留守電が残っていた。

留守電は、ほとんど無言だった。故障か?と思って聞き続けていると、遠くから若い女性の声で、
「お孫さん、忙しいのよ。」
と聞こえ、留守電はそこで終わった。
おそらく、無言の留守電の背景はこうだった。普段どおり祖母は私に電話をかけた。しかし私は出なかった。電話は留守電へと切り替わる。祖母は電話を切ることも、メッセージを思いつくこともできず、ただ携帯電話を見ていたんだろう。そこに現れた看護師が電話を切ってくれた。

この無言の留守電のあと、祖母は一ヶ月もしないうちに永眠した。私が大学に入って数ヶ月が経ち、はじめての大学祭を終えた翌週のことだった。祖母の死の連絡があった次の日から帰省して、通夜と葬儀に出、大泣きした。しかし頭のどこかで、私には大泣きする資格があるんだろうか?とも考えていた。しんじゃいたい、とつぶやいた祖母に「それでも生きていてくれてうれしい」と返したりだとか、留守電に一個一個かけ直したりだとか、そういうことができる人だけが大泣きできるものなんじゃないのだろうか?通夜と葬儀を終えたあとに自分の携帯電話に残る留守電を何度も聞き直した。なんであのとき、「めんどうだ」なんて思っちゃったんだろうな。近いうちにしんでしまうだろうことは分かってたのにどうしてもっと愛情をもって尽くせなかったのか。いや、愛情がなかったわけでは全くないのだが、私が持っていた愛情が、どうしてもっとわかりやすく、相手の気持ちにあたたかいものを残すものとして表出しなかったのか。どうして自分の愛情が相手にとってそのようなものになるように、私は努力しなかったのか。
それでも私は大泣きした。そして、おなじことが次起こっても、私はうまい愛情表現をおもつかないし、留守電に返事をしないんだろうとも思う。

留守電はずっと保管しておこうと決めていたが、その三年後くらいに何かの拍子で携帯電話を落として壊し、全部のデータがなくなってしまった。

ああ祖母。そういえばあの頃はまだ、みんなガラケーだった。それを使って孫に電話をかけた祖母。膨れ上がった留守電。元気だった祖母。同じくらい元気に大学に通った私。死際には会えず、母からメールだけが入っていた。あの頃はまだ、LINEも使ってなかった。LINEだったら、もっと会話できただろうか?祖母はメールをしなかった。

急になぜ、いまさら、祖母のことで鼻を痛くしているのか、わからない。私の気づかないところで、祖母がはるばる東京のわたしの部屋までにじり寄っているのかもしれない。霊ではあっても、二本足でひょいひょいと来てくれているといいのだが。

アラサーOffice workerはオーラルケアについて真剣に考える義務がある

働きはじめてから思うことなんだけど、働いてる人、口臭い人多くないか?!男女問わず。身綺麗な感じのお兄さんお姉さんから強烈なにおいを嗅ぎとってしまうことが多く驚いてしまう。しかし、口臭とは本当に罪深いもので自分ではなかなかわからず、よってお前はどうなんだ、と問い返されたら自信を持って大丈夫だと胸を張ることもいまいちできない、もっと言えばわたしはかつて二回ほど「口が臭い」と男性から言われたことがあり、口臭とは本当に罪深いもので②、言ってくれたことはありがたく思うもののその後は異常なまでの神経質になってしまうのだった、よって、なおさら、お前はどうなんだ、と問い返されたら自信を持って答えることはやっぱりできない。働きはじめてから口臭のつよい人に出会うことが多くなったのはストレスが大きいんだろうなあ。ストレスによる胃の荒れ、加えてストレスを和らげるためのタバコ、コーヒー、アルコールなどが全部悪い方向に作用している。口の中に関して言えば。しかしサラリーマンを辞める勇気もない我々なのだからそうであるならばオーラルケアについて真剣に考え、実行に移していく必要がある。

大前提:大人になったら2-3ヶ月に一回は歯医者に行って
そしてクリーニングをしてもらって!歯石を取るべきか否かは私にはわからん。が、とにかく定期的に検診に行き、歯の掃除をしてもらって。それで問題の大部分が解決する。たまに「虫歯になったことがないから歯医者に行く必要を感じない」とのたまう人がいるが、痛くなってからじゃ遅いんだぞ!私も痛くなってから歯科通いをはじめたがその頃には自覚症状のない部分まで虫歯が進んでおりわりと詰め物だらけになってもた。そして何よりクリーニングをするとめちゃピカピカになるしその後のフロスはしばらくにおわないのでクリーニングで口臭を予防することは可能なんだと思う。まずは歯医者にいけ!まじで

以下、歯医者に行ったあとの話

①まず基本のキは歯ブラシじゃん
歯ブラシの答えはタフトのような気がする。コンパクトなヘッドで毛もしっかりしているので、歯肉と歯の境目をゴッシゴッシ磨ける。小回りも効くので奥歯周りも大丈夫。気持ちいい。

昔はエビスのプレミアム歯ブラシを使ってたんだけど、これはブラシ部分が私の歯に対して大きすぎて歯肉と歯の境目をごしごし磨くことができずやめた。でもAmazonレビュー見てるとむしろ磨けますって意見が多くて歯の大きさとか口の大きさによるのかな。あとAmazon最安の歯ブラシっぽいCiメディカルもコンパクトで良かったけど、毛のコシがタフトに比べて弱いので磨いた感じがあまりない。

②歯ブラシだけじゃ絶対にだめなのでフロスも
フロスねえ!使うことを早く条例で義務付けてほしい。フロス使ってみれば絶対にわかるけど、口臭って歯の間に挟まってる歯垢や食べカスに全部凝縮されてるよ…歯磨きしたあとにフロスしてそのフロスのにおい嗅ぐと毎度絶望する。それ残ってたらそら口くさなるわ。フロスはツイッターでバズってたフロアフロスが肉厚で使いやすかったけど、このタイプってどうしても使った部分を手で触らないといけないので嫌なんだよね…なのでいまはピックタイプ使ってる。でも糸状巻き取りのほうが歯垢は取れやすいとどこかで聞いたことはある

デンタルプロ フレッシュ フロスピック 100本入

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  • 発売日: 2019/10/03
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
 

 

③舌ブラシ、はけっきょくやるべきなのか否かわかんなかったから最近は使ってないな。それよりもフロスの方が圧倒的に大事だと感じた

④マウスウォッシュ系
セラブレスはフロス使う時間がないときに使ってる。リステリンは試供品もらったときに使うけど、セラブレスの“”“強さ“”“に甘えてる

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⑤タブレット系
働きはじめてからトイレで歯磨きしてる人よー見るねんけど、若干抵抗あるのは私だけか?ウンコと口が同居する空間って。って思ったけど今住んでるわたしのアパート、ユニットバスだからウンコと口が同居してたわ…まあ…とりあえず会社のトイレはちょっとね、と思うんだけど、昼に匂いの強いもの食べたときとかコーヒー飲んだあとはセラブレスのタブレットをなめている。まあこれもお守りっつうか、セラブレスの強さに甘えてる形になりますね。マンダリンミントのほうが「効く」感のある味だけどタルトベリーのほうが食べやすくて好き

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職場で困ったなと感じたときはこのブログのURLをそっとその方にシェアしていただければと思います。

人生に、不満ばかりだ

人生に不満ばかりだ、ここのところ。なんだか頭を坊主にしたい気持ちであふれている。女の髪に血が通ってなくてよかった、と言ったのは綿矢りさなんだけど、私の場合も髪に血が通ってなくてよかったタイプ、人生のうまくいかなさと、髪の毛の明度、輝度、彩度、それと長さは深く関わっていて。
どうしたら不満ばかりじゃなくなるんだろう?私がこういう、公開のブログ上でこういう話を書き続けているのはいつか誰か(「王子様が」)がというか、いつかどこかでほんのわずかばかりでも同意してくれる人がいるものだと信じて書いていて、そしてこういう頭の「かゆさ」を抱えている人は絶対にいるものだと私はわかっているのだが、さて、どうしたら私は不満ばかりじゃなくなるんだろう?私の年代はいわゆるアラサーというやつで、否応無しに心の一番弱い部分に飛び込んでくるソーシャルネットワーキングサービスはですよ!高校生のときから夢をそれなりに描いていた人たちが見事魔法のようにそれを現実に映し出し動かしていることを親切心で教えてくれる。ああ確かに彼らは、人生を逆算してその時時の行動、具体的に言えば志望校や志望校後の選択肢などを、確かに表明していましたね、あれは、そういうことだったんですね、というような。そういう人たちばかりが目の裏にこびりついてこびりついてこすっても取れなくて汚くて、私は毎日葛藤を抱えているよ。いやだね。私は逆算も、人生の適切な計算も、できなくて、ときどきの人生のマイルストーン(入試とか、就活とか、就職とか)で髪の毛をばっさりそったりそめたりすることで溜飲をがっと下げている。そんな、毒を飲むみたいな飲み方じゃあいけないってえのはもう何年も前からわかっているのに、私は逆算の仕方がわからない。どうしたみんなあんな、逆算がうまいんだろう。自分の逆算を信じられるんだろう?私は逆算する前から「不確実性」の言葉がよぎってけっきょく安牌を切ってばかりいる。ああ、考えずにできる「ニコニコ」っていいものですね。そのうちなんだかそんな安牌ばっか切ってる自分が情けなくって卓上の牌を全部がしゃーーーーっととっ散らかせて周りに迷惑ばっかり、みたいな、そういう人生の代表のうち、「そういうのでもいいじゃん」っていう私のゆとり世代の部分が笑顔で輝きながら後ろで待機してくれてはいるけれど、別にそういうのでもいいじゃんなんだけど、じゃあ、私のこの頭のかゆみは、なんだっけ、脳を取り替えたら、治るんだっけ、私は、結局、どうするんだったっけ?って、ずっとここんとこ考えてる。

ニューイヤーレゾリューション

ニューイヤーレゾリューションという言葉がある。新年の抱負とかいうもの。年が変わればなんか自分も変わるような気がしてしまってツイッターやブログにxxしたいを飽きもせず書き連ねてしまったりする。一方で私の場合は今年はまったく「新年み」なるものが感じられず従って新年の抱負なんてものを書く気もあんまり無い。いま、去年(2019年)の目標が冒頭の1ページに書かれている日記帳兼予定帳を見てみると、①転職②貯金③筋トレ④勉強(映画や美術館に行く、本を読む、ある特定の分野の勉強)等々、書かれており、なんか別に変わってなくね?と悲しくなってしまったのが本音だった。ちなみに2018年の新年の抱負も残っていてこちらはご丁寧に2018年末の反省がコメントで入っている。まとめて言えば、やっぱり年が改まったって自分の行動やら惰性はなかなか改まらん、という話。同じ過ちを繰り返して同じ惨めな気持ちを思い起こすのはこれ以上やめたほうがいい。

もっとポジティブに新年を、と思ったときに最適な方法はなにかと考えたが、2019年に経験したことをちょっと備忘的に書いておこうと思う。自分がどれくらいのことを成し遂げられる人間か、またそれらのことについてどういった評価をしている人間なのか、わかるような気がしないでもないためだ。

手元の日記帳と、2019年からはじめたGoogle scheduleで振り返ってみる。新しいこととかいつもやっていることとかも含め印象に残っているものを書く。

①会社を休職した

いきなり重いのきたな。まあいいや。労働時間がえらいことになり、あっというまに惨めな気持ちになって泣きながら電車に乗る日が続いた。精神がつぶされてしまったので産業医に相談して休職。詳細は前書いた

②映画とか展覧会によく行くようになった

大学を卒業している者として文化教養には親しまなきゃあかん…と十九歳のころから考えていたが、2019年ついに行動に移した感がある。2019年はていねいに映画や展覧会の半券を日記帳に貼っていたのだが、月に2-3回は何かしら楽しんでいたっぽい。2020年も展覧会にぞくぞくと行っているが半券を捨ててしまっている。半券集めは再開してもいいかもな…。2019年に見て一番良かった映画を思い返すとうーんやっぱスパイダーマン(アニメ)は衝撃だったかな…

https://bd-dvd.sonypictures.jp/spidermanintothespiderverse/

③dマガジン読み始めた

月額400円でわりと大体の雑誌が読み放題。好きなファッション誌が読めるのもいいが、「買うほどじゃないかな…」と思っていたインテリア特集の雑誌がもれなく読めるので結果としてインテリアの勉強が少しずつできるようになった。みんなに勧めまくっている

dマガジン | 多彩なジャンルの人気記事がいつでもどこでも読み放題!

④そういえばボランティアに行くのはやめちゃった

子どもに勉強を教えるボランティアに通っていたんだけど、いつのまにかフェードアウトしちゃった。「決まった人がいる」っていう状態がなにか苦手なのかもしれない。

⑤パーソナルトレーニングに通い始めた

といっても2017年くらいから筋トレ自体はしていたので、月に2回、フォームを直しに行く感じである。ちなみに2019年は体重・体脂肪ともに激増している。単純に酒を飲み飯をアホみたいに食っているからだ。ボディメイクの基本は食事ですよ!みなさん。最近はPTも諦め?て「背中のお肉が邪魔でローイングできてないですよ」と指摘してくるのでもうなんかおもろくなってきた。1月中はちょっと減量するつもりですが…。

⑥そういえば大学院の説明会にも行っていた…

休職話もあって、大学院の説明会に行っていた。最近興味がある分野の一つの研究室に話を聞きに行ったが、「なんかまた修士課程から、学問のお作法を学ばなくてはいけないのかなー」とモヤっとしたので検討するのをやめた。あのまま検討していたら今頃春からはじまる新生活にワクワクしていたのかも。でも学問の世界に行くならいままで全然違う環境がいいなと思うな。

⑦嫌いなやつと連絡を絶った

エグみのある言い方だが、ずっと嫌なことを言ってくるやつとトモダチしていたが、なんか日々擦り切れていくな…と思いLINEの返信を適当な感じにした。向こうも気づいた?のかそれで連絡は来なくなった。限られた自分の時間を嫌いな人間に割く必要はないなとまじで思う。

⑧英会話に通った、一瞬

3ヶ月だけ英会話に通ったけど、なんかうまいこと自分の英会話力がexpandする感じがなくて3ヶ月1タームで終了した。英語使ってみましたよん。たぶん、英語をしゃべるってよりもインプットを増やしたほうがいいような気がする…。読むとか聞くとか。

⑨海水浴目的ではじめて東京の海に行った

おもくそ日焼けして、しっかり自分のおっぱいにはビキニ型の焼き目がついて、エロくてええやんと自己肯定感が大変あがった。これは今年もやりたい。

⑩トランジットでウィーン観光を6時間で行った

いままで、「トランジットで市中に出るとか!なにかあったらどうするの?」とびびりまくっていたが、事前にグーグルしてなんとか成し遂げた。旅行に行った国自体よりウィーンのほうがツボだった。今度はオペラ座に行けるといいな。

『滞在4時間! 乗り継ぎついでにウィーン観光♪』ウィーン(オーストリア)の旅行記・ブログ by ひでまるさん【フォートラベル】

↑めっちゃ参考にした

⑪海外出張が多かった

でも英語があまり話せず(話せるんだろうけど勇気が出ず)、役に立たずにみじめな気持ちになっただけだった これはなんとかしたほうがいいのかもな…。

 

なんかこう、思いついたままに書いているけどこの話オチがないな。2019年を振り返ればそういえばそういうことしてたなってのもあるし(⑥大学院説明会とか⑨東京の海とか)、自分なりに自分の状況を変えようと必死だったのがよくわかる(①休職とか⑤PTとか⑦絶交とか)。となると次はもう少し自分がフィットできると思える場所を見つけられるといいね、って、結局ニューイヤーレゾリューション決めるんかい。いや、そういうわけじゃないんだけどさ。やっぱ、人生って積み重ねだし。