そんなに真夏でもない夜の、かつてあった夢の吐露一本勝負

いっつも文章を書くときはなんかに焦ってて、まともに美麗な、美麗でなくてもうまく構成された文章にしたいのになって思うのに毎度殴り書きのような話になっちゃうな。

この前下北沢で遊ぶことがあって、遊ぶっつっても一人だったんだけど、大学生のとき下北沢にはちょいちょい来たことがあって、といってもビレバンで売ってる小説の主人公みたいに「下北沢は庭です」って言えるほど遊んでたわけじゃなく、西口と南口と北口のつながり具合だけを認識してるくらいなんだけど、久々にB&Bで遊んできた。

ここは皆さんご存知だと思うけど、ビールを飲みながら本を買える店ってことで、かなり書店内での行動が自由に(ビールも飲めるし、座って本も読めるし、なんと家具も買えてしまう)できるんだけど、行った日はたまたま音楽イベントをやっていて入場料を払うことになってたから、これで滞在費は払ったことでってことでビールも買わず自分の家かごとく、本を漁っては積み、読み、戻し、漁り、積み、戻しをひたすら繰り返した。(なんかマナー違反だったらごめん。)短歌とか、建築とか、お金の話の本とか、美術、あとはフェミニズム系が特集されていたのでそれも読んだ。こういう本の漁り方って、振り返ればかなり久々、それこそB&Bが開業して、一、二年はこうやって本に囲まれて過ごすのが好きだったんだけど、なんだか私もずいぶん変わったと自虐的に自省した、けど一方でむりやりこういう時間を過ごすことで、こういう時間を過ごせば私はいつだってこの時間に戻ってこられるのだと思った、贅沢な時間に浸かっていると金銭感覚もふやけてきてドサドサと本を買ってしまったわけだが…。

女性を弄ぶ博物学―リンネはなぜ乳房にこだわったのか?

女性を弄ぶ博物学―リンネはなぜ乳房にこだわったのか?

 

 (↑これ買った。博物学(分類学)がいかにジェンダーに規定されながら成立したかを論証する科学社会学あるあるな感じの話なんだけどそもそもまともに勉強していない人間は問題設定のあざやかさを好きになった)

こういう時間の過ごし方が「贅沢だ」と思う一方で、私にはこういう贅沢が必要な人間だと確認した(ある種、「凡庸にはなりたくない」というような差別的な、選民的な確認なんだけど)(←ここまで自虐的でなくてもいいか)。私には次の日から仕事があった。私には休みが土日の二日しかない。なんならその二日のうちの何分の一か、仕事のことを考えないといけないくらいに私は不安症だ。本当はもうあと一日くらい週に休みがほしい。本を読む時間と、人に会う時間と、一人になる時間で…。私は高尚な人間になりたいと思っているので、本を読む時間が私に必要だと声高に言うのであるが、実は高尚な人間でもなんでもないので、「高尚な人間になりたいな」と思う時間でツイッターを見たりオモコロを読んだりしている。そしてそういう時間は、高尚な人間になるための時間より優先される。特に仕事をしていると。「遊び」が生きていく上には必要なんだけど(これはplayの意味じゃなくて、機械とかの接合のゆとりのことね)、そもそもの遊びを謳歌するためにはもっと雑多な、ゴミクソみたいな時間が必要なことには働き始めてから気がついた。

 じゃあ働かなきゃいいんじゃない?その選択肢はさいきんけっこう濃厚になりつつある、全く働きたくないわけじゃなくて自分のペースメーカーのためにも週に3, 4回くらいはしごとをしたいなと思う…、いまの仕事はとくに私の神経症を簡単に刺激するのも辛い。B&Bではこの本も読んだ。

なるべく働きたくない人のためのお金の話

なるべく働きたくない人のためのお金の話

 

 ざっと立ち読み(正確には座ってたけど)しただけだからあんまり内容は覚えてないんだけど、こういう、「必要最低限のものでゆたかに暮らす」って宣言には、こんまりよろしく、断捨離よろしく、ミニマリストよろしく、いつまでも憧れちゃうな、「やりたくないことを明確にしよう、そのリストは更新していこう」ってのは本当に真理だ…

(↑ちなみに本の内容はだいたいここに書いてある[気がする]。)

こういう生活も実践してみっか…と思う一方で、今月わたしは新しい靴を買ったしカバンも買ったし服も買った、「仕事からのストレスから解放されると欲も減ります、請求書のために働く人生、資本主義のハムスター乙。」という真言が気にかかると同時に、しかしそうやってお金を使って自らを更新していく気持ち良さを、私は知ってしまってもいる。

日曜日の夜は常に葛藤よのお。しかし葛藤のバリエーションにも限界があり、最近はもっぱら、働く・働かない問題、不安症問題および他人のフリした自分の内側の声に押しつぶされそう問題、そしてほんとに好きなことは何なんや?問題の三つくらいで、しかし三つは密接に絡み合い、私の人生を混乱させる。もやもやとした気持ちは誰かに話したくなるけれど話すような友人もおらずまた何を言われたって解決しないのだからこうやってブログに書き留めるのが正解なんだけど。かつて、「明日なに着て生きていく?」という広告コピーをアパレル会社が出したことがあったけど、その、「生きていく?」の問いかけの調子だけが頭のなかに響いて響いて、あー私は明日、どうしようかな、明日は月曜日なので私の運命は決まってるんだけど…、どこかで私がもうひとり、月曜日のB&Bに行ってまた本を積み重ねては読み、でも結局、紙面にその問いかけを見出しちゃって頭を抱えていて、それは私の未来のようで、過去のようで、逃れられない自分の本性なんだろうな、という諦念。

5月6月のネトフリ(+映画)

五月病とは無縁の日々を送る社会人生活、労働は絶えず、しかし特に自分が変わっているような感じもしない昨今、なぐさみはNetflixくらいしかなく、マイリストはどんどこ登録されてちゃんと見られた試しもない…。

ロブスター

カップルにならないと動物にさせられてしまうという世界で生きる主人公(Colin Farrellのブリーフ姿が眩しい)、偽カップルになったりバレたり、結婚相談所施設から逃亡したりそうこうしてホンモノの愛っぽいやつを見つけるが、しかし「愛」に対する強迫観念は徹底的に歪まされ、「おそろい」じゃなければ「愛」じゃないという呪縛は、結局最後まで二人の関係を殺すんでした、という話だった。

同様に「矯正」くくりで、Boy Erased(邦題:ある少年の告白)も見た。(これは映画)
アメリカで実際にあった同性愛矯正施設の話。残酷な盲目がとにかくきつい。親だって愛のつもりなんだろうがコミュニケーションを介さない愛は暴力に過ぎず、映画もなかなか解放なるシーンが訪れなかったけれど基づいたノンフィクションがそうであったように最後は父も息子の目を見たのがひたすらに安心した。こういう矯正施設はまだアメリカ中いくらでもあるらしく大活用されているらしく、レインボーフラッグと同性愛矯正施設が併存するアメリカの謎。

 

ウォールフラワー

そういえばこれにでてたEzra Millerはゲイの役で、差別され暴力沙汰になってしまった彼を主人公が助けるところから物語が再び動き出していた。まあ、それがメインの話ではなく、主人公(Logan Lerman)が愛されることだとか愛することを知る一連の青春、の話だったような気がする。Emma Watsonは相変わらず良くも悪くもエマ・ワトソンだが、彼女の鼻梁に宿る繊細さが青春のぎこちなさみたいなものを演出していてよかったような気がする。物語はわずかばかり好転し、一方でわずかばかり悪化していく、その流れがティーンエイジの時間を描き出していて心に残る一本だった。

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Always Be My Maybe

ネトフリオリジナル。幼馴染の男女二人が恋に落ちたり落ちなかったりの話。Crazy Rich Asians再来?かと思いきやキアヌ・リーブスも出てくるしなんなんや?まあ話はベタな感じで、まあなんかそんな感じで、そんな感じ。

主演女優のAli WongってStand-up Comedyもやってるんだね。ググったら下のやつが見つかったんだけど、いきなり冒頭「私はAVを観るのが好きなんやけど私のオキニの検索ワードは『アジアン』と『スクール』で、『アジアン』で検索するのは私がアジア人だから。『スクール』で検索するのも、私がアジア人だから。」ではじまっておりジョーク効いてる。暇なときに聞いてみよっと。

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To All the Boys I’ve Loved Before

これもアジア系の主演女優が登場するネトフリオリジナル映画。こっそり書きためてた五人の男へのラブレターが妹の策略により本人に届いてしまいトラブルが発生するわけだが、その五人の男のうちの一人のジョックが元カノとよりを戻すために仮初めのお付き合いをせえへんかと持ちかけるわけや。主人公もそれに乗るが、思いはいつしか本物のものへと変わっていき…って死ぬほどど定番の話。りぼんもちゃおももうそんな話書かへんわ。

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しかしGame of Thronesの一連の感想を書いたときにも思ったけど、もしかして世界は「定番」を求めているのか?物語に関しては。ストーリーラインはあくまでも定番のものでよく、それよか人物描写やキャラクターデベロップメントを求めているんだろうか?...とまあこんな感じで、21世紀における物語描写の新しい潮流のかほりを嗅ぎ取りながら五月と六月も過ぎさりし。

追悼・Game of Thrones(E6)

というわけで終わったGame of Thrones。どうも皆さんお疲れ様でした。

Episode 6も、もうちょっと詳しく説明してほしいてか脚本がすでに「今北産業」的な感じの端折りまくりのオンパレードだったわけだが、約8年にわたるシリーズがめでたく完結したわけで、そう思うとぐちぐち文句を言うのもなんかなと思って(比較的)前向きな振り返りをば…。

ストーリーについて言いたいことは山程あれど、やっぱこんだけ、オオン?!って展開になったのは話数の少なさのせいだったと思う。今回のシーズン8なんて2シーズンくらいかけてよかったのではないか。あまりにも古き良きGoTが恋しくなるのでシーズン2などを見ているわけですが、たとえばJonとYgriteの出会いなんてシーズン2からシーズン4の2シーズンかけているわけで、シーズン7・8で最終的に非常に重要となってしまったJon-Daenarysの関係を描いてしまったのは物足りなすぎたんだと思う。シーズン7なんて半分通奏低音のようにBend the kneeって言ってただけだしな…。
あとシーズン初期では、物語の構成上、Meanwhile, …の描き方が多かったと思う。一つのエピソードに3場面くらい出てきており、北部の話が一通り描かれればKind’s Landingに話が移り、それが一通り描かれればDothrakiの話に移り…といったように複数の国での出来事が折り重なって描かれるために重厚感が生まれていた。

シーズン7/8では(まともに戦える国がそもそもなくなったということはあれど)そういう描かれ方がほとんどなくなってしまっていた。今回のエピソード6も、虐殺の憂き目にあったKing’s Landing/Dany及びそれを信じるGrey WormやUnsullied/Jon及び迷うTyrion、+ hopefully Davos/Danyを疑うSansaおよびArya、くらいのくくりは生まれ得て、そこでのやりとり・策略がもっと詳細に描かれてもよかったはず。と考えるとシーズン8はもういまの話を書くのでもうカツカツであり、まあ今回のオチにするにしても話数足りませんでしたねってことで終わるってなわけ。

あと最後にちょっと言いたいんだけど、カメラ/演出もあんまり上手ではなくなってたような気がする…。「いかにも」というようなシーンが多すぎて。Night Kingの戦いのときのドラゴンが夜空を飛ぶシーンや、Danyとドラゴンの翼がシンクロするシーンだとか。

いやはやしかし話にしても実はA Song of Ice and Fireが物語になりました〜とかSamが普通選挙を提案するところだとか、どう考えても思慮の足りない人が現在に引きつけて考えただけの脚本がお粗末すぎて…ううう…う…

まっまっま、これ以上話すんだとしたらGeorge RR Martinの新作待ちましょうよとしか言えないわけで、しかしGeorgeもかなり健康状態がね…心配ですが…。となるともうGame of ThronesのTrue endはあなたの胸の中!そう思ってただキャストの動画を探し求める地縛霊になるのであった…

みんなでGame of Thronesを見よう

HBOの伝説のドラマ、Game of Thronesがついに最終シリーズを迎え日本時間では4月15日から放送が始まっております!原作をとっくに追い越してしまったテレビドラマシリーズはやはり原作を追い越しきったSeason 7からのストーリー展開が急に軽薄なものとなり、個人の思い・欲望が国家の動向・国家間への争いへと絶妙に結びついてそれをエロとグロで華々しく彩るというこれまでのシーズンは過去のものとなっておりますがBreaking Badよろしく、どんだけシリーズがグダッてもフィナーレは気になるってなもんで…とまんまとスターチャンネルを契約しリアルタイムで見始めた。
残念なことに周りで観ている人が一人もおらず捌け口がないので、ここにひたすら感想を書いていこうと思う…(ブログの方向性、完全にチラシの裏やな)。

ネタバレ前提なので注意してほしいけど私もSeason 3のRed Weddingの直前で一回飽きてそこからSeason 6までのwikiを全部読んでしまったクチなので、真剣に見てる人以外は読んじゃってもいいかもしれない。

というわけでEpisode 2の感想を適当に書く。

 

Tyrionの失策

Jaime Lannisterが北部入り。JaimeはKing SlayerとしてDanyの父親を殺しており、またBranについても殺人未遂を犯した相手であるという圧倒的アウェーの状況の中の北部訪問。当然Danyはブチ切れるわけだがBrienneがJaimeを庇ったことからSansaがOKを出す。深まるDanyとSansaの溝。しかしこの辺の人間のやりとりがけっこう浅く、これでDanyが許すかねえ。そもそもDany、Sansa、Jonの力関係がよくわからず。よくわからないならわからないでその状態を描いてくれればいいのに、まあ話も製作者も来たるNight Kingとの戦いに焦ってる感。

Aryaの思春期

E2で辛抱ならなかったのがこのシーンなんだよな、、、Season 8に入ってからの二人の雰囲気からおよよ、と思うことはあったものの、ついでにRobertもそういえばSeason1でNedに「俺の息子とおまえの娘が結婚すれば良い」とは言っていたわけで(もちろんこのときはJofferyとSansaが想定されているのだが)そう思うと奇妙な形での伏線回収となるわけだが、いまや向かうところ敵のいないAryaがそんな感情に流されたりすんのかねえ?と思ってしまうのは私の中の「戦う女にはセックスしてほしくない!」という女性蔑視?が入っているのかもしれない…。『神風怪盗ジャンヌ』で日下部まろんが決戦前夜にセックスしたの、結構トラウマでさ…。まあ出来事が今後のエピソードにどう影響してくるのかを見てみたいと思うほかなし。

やたらと強気な女児戦士

Lyanna Mormontで味をしめすぎじゃありませんか?製作陣

「戦う女」の表象が単純な「戦士」だけではなく、売春婦から騎士、女王、プリンセス、暗殺者、野人、と幅広く描かれるのはGame of Thronesのもっともすばらしい描写の一つだと思うんだけど(「女性活躍」というのは、女性のすべてがバリキャリになることでもまた専業主婦になることでもなく、それぞれが好きな職業を選びそこでそれなりに働けることだと思うので)、さすがにこの女児が出てきたのは「おおん?こういう強い女好きやろん?おおん?」という押し付けにしか感じられなくてお腹いっぱいになっちゃった。

出自をめちゃくちゃなタイミングで告げるJon Targarian

Samから伝えられた自分の出生の秘密をDanyに告げるJon。しかもNight Kingとの決戦の前に…いま言うんか?と思わざるを得ないが、まあ隠したまま戦った後にゴタゴタなると良くないから…。

 

というわけでわりとム…と感じる場面がE2には多かった印象。というかもうこれはGoTが国家間の争いにNight Kingとの争いを掛け合わせてしまっているのでしょうがない。シーズン序盤は国家間の争いがメインであり、個人の思惑・私的な関係が濃密に国家の戦争やその勝敗に影響する様がめちゃくちゃ面白かったわけだが、シリーズ後半で「敵」が「死者」になってしまった以上、一人の考えとか一つの関係性は行き場をなくし、「とりあえず共通の敵なので倒しましょう」という話で有耶無耶になってしまうのが惜しい。
ま、ひとまず描き方は別にして、残りの解決すべき問題はNight Kingとの戦い、Cerceiとの戦い及び誰がIron Throneに座り戦争を終結させるのかという問題で、残りの4エピソードでどう描かれるのかなんやかんや楽しみやわ。